三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹炳(そうへい) 字:不明(?~238)

さて、今回紹介するのは曹炳じゃな。彼もまたあまり聞かない名前じゃと思うんじゃな。彼は曹熊の息子であるんじゃがこの曹熊、実は曹丕曹彰曹植と母を同じくする人物だったんじゃよ。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹炳の紹介じゃな。彼は曹熊の息子じゃな。といっても曹熊はまだ紹介できておらんのう。

三兄弟と母親を同じくしている、とのことですが、曹熊についてはほとんど逸話を聞きませんね。

曹熊殿は若くして亡くなっているからな。逸話がほとんどないのも仕方のない話だ。 

そう言うことじゃな。それでは曹熊の息子、曹炳について見ていくとしよう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹炳(20歳)  30 25 40 35
 ↓ ↓ ↓ 
 曹炳(45歳)  57 51 68 62

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

曹炳についての記録は以下のみのようじゃな。

早くに亡くなった曹熊に対して、太和三年(229年)、また爵位を追贈して王とした。青龍二年(234年)、子の哀王曹炳が後を継いだ。領邑は二千五百戸だった。

六年(238年)逝去した。子がなく、領国は没収された。(『蕭懐王熊伝』)

曹炳についても記録はあまり残っていないのですね。しかも子がいなかった。これは曹炳も早くして亡くなったのでしょうか。 

そうだろうな曹熊殿が210年代に亡くなったとするとその辺りに誕生していると思われる曹炳殿は234年の段階でまだ十歳になるかどうかと言ったところではないかな。 

 

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簡単解説

結構若くして亡くなる方多いですねえ。そしてやはり他の作品に出ていないですね。

能力的には曹丞相をだいぶスケールダウンさせた、と言う感じだな。

他の3人は曹操の才能の一部で父を凌駕するような才を見せている。曹熊は比較的父をスモールダウンさせたイメージなんじゃな。曹炳もその辺りを受け継いだ感じじゃ。

さて、そんなところで今日はここまでじゃな。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。