三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹邕(そうよう) 字:不明(?~229)

今回紹介するのは曹邕じゃな。彼は文帝(曹丕)の息子の一人じゃな。没年が229年と言うことは、彼も若くして亡くなったようじゃのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹邕の紹介じゃな。彼は曹丕の息子の一人なんじゃよ。

当たり前の話ですが、知らない人物が多いですねえ。

まあ、曹植殿達のように優れた実績がなければ仕方がないであろうな。自分のところの息子なども名前ぐらいしか出てこないからな。 

そうじゃな、それでは早速曹邕について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹邕(20歳)  50 35 45 55
 ↓ ↓ ↓ 
 曹邕(45歳)  79 62 73 84

 

さて、それでは彼の時代の記録について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

それでは魏志『邯鄲懐王邕伝』に載っている曹邕の情報を見ていくとしようかのう。

邯鄲の懐王曹邕は黄初二年(221年)、淮南公に取り立てられ、九江郡を領国とした。

三年(222年)昇進して淮南王となり、四年(223年)陳に、六年(225年)邯鄲に国替えさせられた。

太和三年(229年)、逝去した。(『邯鄲懐王邕伝』)

相変わらず文帝の時代の皇族は、目まぐるしく領国を移動しているのですね。 

皇族冷遇の時代であったからな。それにしても記録はこれだけか、評価が難しいな。 

 

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簡単解説

ちょっと思ったのですが、知謀と政治が少し高めなのは、名前が関係しているかもしれないですね。

ふむ、邕と言う名前でパッと思いつくのは蔡邕殿だな。なるほど、彼の学者としての才にあやかり、知謀と政治の方を高めにした、と言う判断か。

そう言うことじゃな。そう言う期待を込めて付けた名前、と言うのもあるじゃろうからな。さてこれで曹邕の紹介は終わりじゃな。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。