さて、今回は劉靖の紹介じゃな。おや、匈奴の紹介では?と思った方もいるかもしれんのう。ある程度事情を知っている人になると、ある人物との関係を気にする人もいるのではなかろうか。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は劉靖の紹介じゃな。何か漢人のような名前じゃがれっきとした匈奴の人間じゃ。
何故匈奴の人間が劉姓を名乗っているのでしょう?
それは前漢の時代から、漢の宗室と姻戚関係があったから、と言うことだな。後は宗室が漢から魏に移り、劉姓が憚られる姓ではなくなったから、と言うのも大きいな。
なるほど、そう言えば五胡十六国時代に異民族で劉姓を名乗った王がいましたね。
劉淵のことじゃな。異民族の王朝「前趙」を建国し、異民族による中原支配の先鞭をつけた人物じゃな。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
劉靖については『孫礼伝』にわずかに記述があるようじゃのう。
曹爽が権力を握っておった当時(240年以降)匈奴王の劉靖の率いる軍勢は強勢を誇る一方、鮮卑族がたびたび国境地帯を荒らした。(『孫礼伝』)
このころから劉靖と名乗っていたのですね、劉淵との関係性は不明ですか?
残念だが、劉淵との関係は不明だ。ただ、年代も近いことから、劉淵の父劉豹と何らかの関係があったのではないかな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
強勢を誇ったと言うことから、軍事面の評価が高いのですね。そう言えば劉淵は紹介されないのですか。
彼は250年以降ぐらいの生まれであるからな。さすがに三国統一以後ぐらいから出てくる人物については除外しているようだな。
そうじゃな。一応司馬炎が236年生まれじゃが、ワシが集録しておるのは彼ぐらいの世代までじゃな。劉淵は一回り以上、年代が下じゃから、一応見送った感じなんじゃよ。さて、そんなところで今回はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。