三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

馬超(ばちょう) 字:孟起(176~222)その3

さて、今回は馬超の紹介、3回目じゃな。前回は馬超の主な戦歴を披露した訳じゃが、今回はその中でも特に印象深い戦いを見ていこうかのう。ここでは二人の女性が大活躍するんじゃよ。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は馬超の紹介3回目じゃな。今回は馬超の戦いで印象深い戦いを見ていこうと思うぞい。

上で書いてある話から考慮するに、楊阜達の反乱のことを指しているのだろう。  

張郃さんはすぐに分かったんですね。そんなに有名な話なのですね。

まあ、女性で名前が残っている人物は限られているからな。そして馬超が決して演義のような人物ではないことも良くわかるはずだ。 

うむ、それでは早速見ていくとしようかのう

人物紹介

閻温の死 

馬超が反乱し、隴上の郡県を攻撃すると、全ての郡県は彼に呼応し、ただ冀城だけが州郡(の刺史と太守)を奉じて固守した。

~中略~

楊阜は国の士大夫と一族の子弟の内戦争に耐えられる者計千余人を率い、従兄弟の楊岳に城壁の上に偃月形の陣を作らせ、馬超と戦闘を交えた。

正月から八月まで抵抗したが、救援の兵はやってこなかった。

州では別駕の閻温に水中をくぐりぬけて城を出、救援を要請させたが(その途中馬超に捕まり、義を通し)馬超に従わなかったために、馬超に殺された。(『楊阜伝』)

閻温殿はいつか紹介されると思うが、城を降伏させるよう馬超に脅されても、決して屈さなかった高潔な人物だ。それを馬超は殺害してしまった。 

八ヶ月もの攻防の間に張郃さん達は救援に迎えなかったのですか。

責めてくれるな。わしらとて焦れていたんだ。だが、制度として現場の指揮官が勝手に軍を動かすことは禁忌であったのだ。何かあっても中央の裁可を受けなければ、それは罪になる。

時間がかかり過ぎるのだ。韋康殿や楊阜殿達を救いたかったのは全員が同じ気持ちだったのだ。 

韋康の死 

閻温の死により、刺史と太守は色を失い、馬超に降伏しようと考えるようになった。楊阜は涙を流して諫め述べた。

「私どもは父兄弟を率いて道義を以て励まし合い、たとえ死ぬことはあっても二心を抱持つことはありません。田単の守備でもこれほど堅固ではありません。

降伏はほとんど成し遂げられた功業を捨て去り、不義の名に陥ります。私は死を以て守りますぞ。」

かくて号泣した。(『楊阜伝』)

ここには別の角度からの情報もある。この辺りは裴松之の注釈が役立っているな。 

刺史の韋康は平素から情け深かったが、官吏が傷付き死ぬのを憐れみ、馬超と和議を結ぼうとした。趙昂は諫めたが聞き入れられず、帰ってそのことを(妻の)異に語った。異は言った。

「君には諫臣がおり、大夫には国の利益になることを専断して良いと言う建前があって、専断がいけないと言うのではありません。救援の兵が関・隴に到着していないとどうして分かりましょう。節義を全うにして死にましょう。従ってはなりません。」

趙昂が(この意見に同意し)役所に戻った頃には、韋康は馬超と和議を結んでいた。(『楊阜伝』裴注『列女伝』)

ここで名前が出ている「異」と言う女性が一人目の女性だな。王氏の娘で「王異」と聞くとあの女性か、と分かる人もいるかもしれんのう。

ともあれ、結局韋康は馬超と和議を結んでしまった。ここから馬超の暴走が始まるのだ。 

馬超の暴走と反抗作戦

さて、和議を結んだはずじゃが、馬超は入城すると、冀に楊岳を拘禁し、楊昂に刺史と太守を殺させた。

今でも降伏した相手を無闇に殺害することは、道義上で許されないことであろう。ましてや『列女伝』の方では和議を結んだ、とあるのだ。和議を結んだ相手を殺害して、許されるはずもない。 

楊阜は心中、馬超に復讐する意志を抱いていたが、その機会を掴めずにいた。しばらくして楊阜は妻を失い、葬儀のため休暇を要請した。

楊阜の外兄の姜叙は歴城に駐屯していた。楊阜は姜叙の家で成長したのだが、姜叙の母と姜叙に会うと、先に冀の城中に会った時のことを語り、すすり泣き酷く悲しんだ。

姜叙は言った。「どうしてそう泣くのだ。」楊阜、

「城を守りながら全うすることができず、主君を失いながら死ぬこともできませんでした。また何の面目があって平気で天下に生きていけましょうぞ。

馬超は父に背を向け君に背き、州将を虐殺しており、これはいったい私だけが憂慮し、責任を感じることでしょうか。州中の士大夫がその恥辱を受けているのですぞ。

君が兵を擁し実権を持ちながら賊お討伐する心を持たないのは(弑逆者を処罰しなかったため)主君を殺したと書かれた趙盾と同じ態度です。

馬超は強くても道義がなく、隙が多く、つけこみ易いですぞ。」

姜叙の母は心を昂ぶらせ、姜叙に命じて楊阜の計画に従わせた。(『楊阜伝』)

ここで出てきた姜叙の母親がもう一人の女性だな。 

さて、ここから楊阜達の反抗作戦の始まりじゃ、姜叙の母は次回に詳細を語るとしようかのう。さて、今回はここまでじゃな。まだまだ厳しい状況が続くぞい。

 

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