さて、今回は劉繇の息子の一人である劉鑠の紹介じゃな。彼は劉基の弟であり、兄のことを畏敬していた、と言うことなんじゃが、彼自身の記録は少ないようじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回紹介するのは劉鑠、劉繇の息子の一人じゃな。
劉基も私は知らなかったのですが、今日の劉鑠も全然聞いたことないですね。と言うかフリガナを振ってくださらなかったら読めないです。
現代の中華の人も簡体文字を使用しているから、下手したら読めない人はいるかもしれないな。台湾の方が読める人は良そうだ。
台湾は今も繁体文字が使用されているからのう。日本もだいぶ簡略化された文字があるから、この辺りは読めなくても仕方があるまい。さて、それでは劉鑠について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
劉鑠に関する記録もまた『劉繇伝』に載っているようじゃな。
劉基の二人の弟、劉鑠と劉尚とは、ともに騎都尉となった。(『劉繇伝』)
劉基は弟たちと一緒に暮らし、いつも遅く寝て早く起き、妻妾たちも彼の顔を見ることが稀であった。
弟たちは彼を畏敬し、父親に対するように彼に仕えた。(『劉繇伝』裴注『呉書』)
兄の劉基に比べたら記録はかなり少ないですね。
まあこればかりは仕方あるまい。劉基とは最終的な官位や立場がだいぶ違うからな。
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簡単解説
軍事が高めなのは騎都尉に就任していたからですか?
恐らくはそうであろう。前漢であれば西域都尉と西方の統括も行ったりしていたが、呉ではそこまで支配できていないからな。
更に時代が下っていくと、名目だけになっていったようじゃが、まだ戦乱の続くこの時代では皇帝直属の部隊の指揮官として名を残していたんじゃろうな。
さて、劉鑠についてはこんなところじゃな。
よし、それでは自分も帰るとしよう、次もよろしくな。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。