三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸胤(りくいん) 字:敬宗(?~?)その4

さて、今回で陸胤の紹介、多分これで最後じゃな。今回は陸胤のことをある人物が評価しているんじゃが、その内容について、〆としようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は陸胤についての同時代人の評価を見ていくとしようかのう

華覈殿の人物評だな。 

華覈って確か陸禕の人物評もしていましたよね。結構優秀な人物だったのですか?

末期呉で優秀と思える、数少ない政治家じゃからな。それでは華覈の陸胤評について見ていくとしようかのう。

人物紹介 

華覈の陸胤評

時代は陸胤が虎林の守備に当たっていた頃、華覈は次のような上表をするんじゃよ。

「陸胤はその天与の資質から聡明であって、万事に通じた才能を持ち、行いは清らかであります。かつて選曹(官吏の人事に当たる役所)の任に就きました時には、後の手本となるような実績を残しました。

また、交州にありました時にも、朝廷のご恩徳を宣べ伝えて、流民たちも帰順し、南海のほとりの地は整然と治まったのでありました。

~中略~

州の役所は大海に面しており、海が荒れて秋ごとに塩害を受けていたのでありましたが、陸胤が貯水池を作った結果、民衆たちはまともな食事ができるようになりました。

恵み深い風教が広くひろがり、その教化は人々も神々をも感動させ、そうした上で陛下のご威勢をお借りして、それまでばらばらあった者たちを一つにまとめたのでございます。」(『陸凱伝』)

陸胤の評価はかなり高いですね。実績もしっかり描いていますね。 

まさしく呉最後の希望と言える評価と言えるところか、続けていこうか。

「武将たちがその配下に軍勢を集める時には、みな武力で以て脅かしつつ強制的に重用するのが常であり、陸胤のように恩徳と信義とで以て人々を集めた例は他にはございません。

ご命令を受けて州を治めることが十年以上に渡り、その配下には異民族を従え、その地からは高価で珍奇な品々が産出するのでありましたが、彼の後室にはお化粧をし、珠飾りをつけた側室がおる訳でもなく、家には文様のある亀の甲や犀の角や象牙と言った珍宝が蔵されてもおりませんでした。」(『陸凱伝』)

この辺りは陸胤の統治の見事さや、兵の集め方の凄さについて語っていますね。 

お主の師匠は軍事を統率より高く評価しておったが、逆でも良かったかもしれんな。

「現在の臣下達の中を見渡してみましても、彼こそまことに得難い人物なのでございます。どうか彼をおひざ元に呼び寄せられ、王室の股肱とならせられて、堯や禹の時代の如く『康(やす)らかなる哉』と言う褒め歌が歌われるようになりますように、彼の力をお用いになってください。

長江沿岸の防備では、彼にとって役不足であり、(彼の後任として)虎林の督に当てるにふさわしい人物は多数おるのでございます。

もし彼を都に召還され、ご恩顧によって高い地位をお与えくださいますならば、天に代わって主君が行われます政事(まつりごと)は全て順調に諸々のご施策はなべて成果をあげるでございましょう。」(『陸凱伝』)

ここで書かれている役不足は、本来の意味で使われているものってことですよね? 

そうだな、虎林の守備のような役割は陸胤本来の才能からすると軽すぎる。そんなのは他の人物たちに任せて、もっと重要な役割を陸胤に担わせるべき、と言うことだ 

実際に中央に召還されていればもっと評価は変わっていたかもしれませんね。 

そうなっていれば陸抗と並んで、呉の二翼として後世に名を馳せていたかもしれないな 

以上で陸胤の紹介は終わりじゃな。陸氏一族で名を残している人数こそ少ないものの、内容はそうとう濃密そうじゃな。ではまたの。

 

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