三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸胤(りくいん) 字:敬宗(?~?)その3

さて、陸胤の続きじゃが、今回はある事件における陸胤の動きをまとめていこうかのう。彼について案外語ることは多いようじゃな。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は陸胤の内容について、ある事件についての記録を見ていこうと思うんじゃよ

ある事件、孫権晩年の二宮事件のことか。 

確か陸胤も投獄されていたんですよね。その部分の詳細と言うことでしょうか。

そうじゃな。それでは孫権の息子の孫和と孫覇が後継者争いを行っておった時、陸胤に何があったか見ていくとしよう。

人物紹介 

孫和派の陸胤と孫覇派の楊竺

時代は孫権の後継者争いが激化しておった時のことじゃ。

太子(孫和)がその位を追われるのではないかと心配する一方で、魯王(孫覇)は太子の位を狙って不遜な望みをますます募らせた。

孫権はそうした時に(魯王派の)楊竺を引見すると、側近の者たちを退けて、孫覇の才能について彼と論じ合った。楊竺は孫覇に文武両面に渡る優れた資質があり、正式の跡継ぎには彼を当てるべきだと強く主張し、そのため孫権孫覇を太子に立てることを約束した。

側仕えの者が牀(しょう)の下に隠れていて、このことを残りなく聞き、太子に報告した。陸胤が武昌に行くことになり、太子の下に暇請いに行った。太子は彼を直接に引見することはせず、目立たぬ服装をして陸胤の馬車のところに行くと、車上にあって一緒に密議をこらし、陸遜に伝えて上表をし(太子変更のことは行わぬよう)諫めてくれるようにと頼んだ。(『陸凱伝』裴注『呉録』)

陸遜の情報源は陸胤からだったと言う訳ですね。 

だが、これが陸胤の身に大きな危機をもたらすこととなった訳だな。続けてその後の話を見ていくとしようかのう。

そうしたことから陸遜が上表をして強くこれを諫めると、孫権は楊竺が話を漏らしたのではないかと疑い、(詰問をしたが)楊竺は自分ではないと申し立てた。孫権は、いったん楊竺を釈放して、彼自ら漏洩事件が覆った理由を尋ねさせた。

(調査の結果)楊竺は、近頃陸胤しか西方に行った者はないから、陸胤が(武昌にいる)陸遜に伝えたに違いありませんと、上言をした。そこで使者を送って陸遜に、どのようにしてこのことを知ったのかと尋ねさせたところ、陸遜は陸胤がそう述べたと申しのべた。(『陸凱伝』裴注『呉録』)

これは陸胤、結構まずい状況ですよね。 

秘中の秘であった孫権と楊竺の会話を、いったい誰から聞いたのか、場合によっては太子である孫和にまで咎が及ぶ可能性がある訳だからな、相当危機的状況だな。

さて、この状況を陸胤はどう切り抜けたのだろうかな。

陸胤を召し寄せて問いただしたところ、陸胤は太子に罪の及ぶことをおもんばかって、

「楊竺が臣に申しました。」

と答えた。そこで二人とも獄に繋がれた。楊竺は取り調べの厳しさに耐えきれず、自分が言ったのだと認めた。元々孫権は楊竺が漏らしたのではないかと疑っていたところから、彼が罪を認めると、果たしてその通りであったと考え、楊竺を斬刑にに処した。(『陸凱伝』裴注『呉録』)

これは見事な対応ですね。下手をしたら孫和も太子の座から引きずり降ろされそうな状況で、楊竺にも罪を擦り付けて、しかも自身は厳しい取り調べにも耐えて、逆に政敵である楊竺を屠った訳ですよね? 

そう言うことだな。この対応で孫和自身の身も、守ることに成功している訳だからな、

この辺りの柔軟な対応力は陸遜の一族らしさを感じさせるな 

この辺りが知謀の高さにもつながっているという訳じゃな。さて、もう少しだけ陸胤のお話は続くわけじゃが、今日のところはここまでじゃな。

 

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