さて、今回紹介するのは陸喜じゃな。彼もまた陸玩と同じく陸瑁に連なる系譜の人物なんじゃ。陸玩は陸瑁の孫世代に当たる訳じゃが、陸喜は陸瑁の息子じゃな。字に「仲」が入っていることから、陸瑁の次男じゃろうな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は陸喜の紹介じゃな。彼は陸瑁の次男であり陸玩達の父親世代に当たる人物じゃな。
陸喜と陸玩は親子とは書かれていないのですか。
史書の記録で見る限り親子ではなさそうだな。上にある通り、陸喜は次男であることが分かっている。陸喜には他に複数兄弟がいるのだろう。
『Wikipedia』によると陸喜は284年頃亡くなっている。年齢的には60ぐらいにはなっておったのではないかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
陸喜は陸瑁の伝の中と陸凱のところにも記述が見えるようじゃな。
陸瑁の息子の陸喜は書籍に通じ、積極的に人倫の道を実行した。彼は孫晧の時代に選曹尚書に任じられた。(『陸瑁伝』)
陸喜は字を文仲と言い、陸瑁の2番目の息子である。彼は晋の王朝に入って散騎常侍(天子の側近にあって、意見を述べる役目)となった。(『陸瑁伝』裴注『呉録』)
「~前略~
姚信・楼玄・賀邵・張悌・郭逴・薛瑩・滕脩、それに我が族弟の陸喜・陸抗と言った者たちは、あるいは清廉に身を処しつつ忠勤に励み、あるいは天賦の才能を豊かに備え、それぞれに社稷の根幹となり、国家の良き補佐者となる者たちです。
どうか陛下には、彼らに厚いご配慮をお加えくださり、その時々の重要問題について彼らの意見を徴されますように。
各々その忠節を尽くして、陛下の万一のお過ちを補佐いたすでしょう。」(『陸凱伝』)
最後は陸凱の上陳した内容ですね。そう言われればここに名前が載っていましたね。
実績は少ないが、評判は非常に高いと見え、お主の師匠の評価もその辺りを考慮しているようだな。
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簡単解説
彼もまた他の作品には出てこないですね。
彼もまた三国志後期から晋の時代にかけての人物であるからな。
確かにその時代を好んでする人は少なそうですものね。
とは言え、陸遜の一族にはこういった優れた人物もいた、と言うことは残しておきたいからのう。語ることは少ないが、重要な人物じゃよ。さて、今日はここまでじゃな。
ふむ、それでは今日のところは帰るぞ、またよろしくな。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。師匠はプログラムもろくにできないんですから、妄想はほどほどにしてくださいねw