さて、今回は白繞じゃな、字や生没年は不明じゃ。
もしかしたら没年は191年かもしれん。白繞は冀州の黒山賊の一味じゃが、彼についてはほとんど記録が残っておらんのじゃよ。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は白繞の紹介じゃな。
結構珍しい名前ですね。あまり見た記憶ありませんね。
しんにょうとかそうにょうとかのにょうの字が「繞」らしいのう。
黒山賊や黄巾賊の名前の付け方からすると、何か身体的な特徴がありそうですが、何でしょうね?
うーん、良く分からんのう。まとわりつくような性格?とか・・・いや、しかし本人が好んで付けそうな名ではなさそうじゃな。
とりあえず、人物紹介といこうかのう。
人物紹介
さて白繞じゃが、彼は曹操の伝である武帝紀に名前が出てくるんじゃ。191年秋7月に袁紹が韓馥を脅して冀州を奪い取るんじゃが、この頃、黒山賊の于毒、白繞、眭固等10余万の大軍を魏郡を攻略し、恐らくそれが東郡にも流れてきたんじゃ。
そこで東郡太守の王肱は防御しれなかったようじゃな。
曹操は軍を引き連れて東郡に入ると黒山賊を撃退しだすんじゃな。白繞も濮陽において曹操に攻撃され、敗れ去るんじゃよ。
白繞の出番はここまでじゃな。濮陽で敗れた時に戦死したのかどうかは分からんが、その後一切名前が出てこんことから、多分戦死したのではないかと思われるのう。
さすがに相手が悪かったかのう。さて、人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行くぞい。今回はワシ評価のみじゃな。
能力評価
白繞は魏郡、東郡で暴れまわったことから軍事面は多少高めの評価としておる。しかし曹操にはなすすべもなくやられておることから全体的に能力は抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
能力的にはかなり抑えめな評価になってしまっていますね。
そうじゃなあ。いきなり曹操が相手だった、と言うのは運が悪かったと言えるかのう。
とは言え、曹操や袁紹、公孫瓚と軍事面で経験のある人物を相手した時の状況を見ますと、やはり軍人と農民との差はでかい感じはしますね。
そうじゃな。逆に劉岱とかは黄巾賊と戦って戦死してしまったが、能力の問題と言うよりも経験の差が大きいように思えるのう。
劉岱と言う人物はあまり記憶にありませんね。
お主演義を読んでおるじゃろ、あれに劉繇と言う人物がおったのを覚えておるか?
えーと、確か孫策に蹴散らされた人物ですよね。
うむ、劉岱はその劉繇の兄なんじゃな。演義で言うとやられキャラにしか見えんじゃろうが、二人とも後漢において非常に高い評価をされた人物なんじゃよ。その辺りはまた本人たちの紹介の時に詳しく説明するとしよう。
それだけ評価された人物でも、負ける時は負けると言うことですか。
そうじゃな、乱世は結局軍事に秀でておらんと、どれだけ名声が高い人物でも生き残れん、と言うことじゃな。
劉虞もそう言えば同じですよね。事績を見る限りは優秀でしたが、結局軍事面で後れを取り、敗死していますからね。
うむ、そう考えるとやはり厳しい時代じゃのう。
どれだけ優秀であったとしても、軍軍事才能に一定以上のラインが求められる、と言うことですね。
そうじゃな、さて、今回はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。