三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

田豫(でんよ) 字:国譲(171~252)・その2

さて、田豫の紹介2回目じゃな。

2回目は軍事面以外のエピソードと、能力評価を中心に説明を行っていくとしようかのう。

田豫紹介その1(軍事面)

 

人物紹介

さて、田豫の紹介2回目じゃな。

田豫のエピソード、やはり異民族がらみになるんでしょうか?

そうじゃな、基本的には異民族への対策をずっと講じてた人物じゃからのう。この辺りの人物は演義や小説ではなかなか出てこんのじゃ。じゃが魏にとっては非常に重要な役割を果たしておったんじゃよ。

確かに檀石槐のような人物がいたら、魏にとっては脅威ですよね。

そうじゃな。そしてお主は良いことを言ったぞい。

え、何か言ったでしょうか?

うむ、それでは田豫の紹介その2へ、れっつごうじゃ。

その他のエピソード

劉備とのエピソード

さて、劉備に付き従っておった田豫じゃが、劉備が予州刺史になった頃、田豫は母の老齢を理由に帰郷したいと願ったんじゃ。予州刺史は陶謙によって194年ごろになっておるのでまだ20をちょっと超えたばかりの若い時分だったんじゃよ。

劉備は涙を流して彼に別れを告げたんじゃ、

「君とともに大事を成せないのが残念じゃ。」

と言ってのう。本当に惜しい人物を劉備は失ったと思うぞい。

劉備って馬謖に対して実力以上のことを言う、とか牽招と刎頸の交わりをする等、やはり人を見る目は確かだったんじゃなかろうかのう。関羽張飛趙雲も本人が見出したようなもんじゃしのう。

龐統の才能を見抜けなかったじゃないか、とか言われることもあるが、本人と直接会って話をしたときは才能を認めているし、罷免した時は、本人と直接会わずに任命だけしておったんじゃなかろうか。

田豫危機一髪

異民族にほぼ勝ちっぱなしの田豫じゃが、一回結構危機的状況じゃった時もあるんじゃよ。戦績のところで唯一引き分けになっているところがあるじゃろう。これは次のような顛末だったんじゃ。

『魏氏春秋』によると烏丸校尉の田豫が鮮卑族の泄帰尼らを指揮して国境を出て智鬱築鞬を討伐して帰還の途中、馬邑の故城で、3万の兵を率いた軻比能によって田豫は包囲されたんじゃ。この時曹叡が劉放と孫資に尋ねると、孫資が「上谷の太守の閻志は閻柔の弟ですが軻比能が平素から信頼を寄せるものです。彼に説得させれば必ず包囲は解けるでしょう。」と答えたんじゃ。それに従ったことで田豫は無事帰還できたんじゃよ。

しかもこの時は先に書いておった牽招も軍律違反覚悟で救出に向かっておるんじゃよ。劉備と縁のある二人が二人とも魏で重要な役割を担い、互いに助け合っておる、というのも不思議な話じゃな。

田豫の異民族統治

田豫の異民族統治の方法じゃが、彼は異民族が合併し強大な勢力にならないよう、常に気を使っておったんじゃ。詐術に近いかもしれんが、彼らを分離させて、互いに攻伐するようにさせたんじゃ。

そのため常に監視の目を光らせて、狂暴狡猾な者の力を削ぐことに尽力したんじゃな。悪事を働いたりして、官に不利益を与えるものに対しては田豫は必ず手段を講じ、邪悪なたくらみを阻止していたんじゃよ。

異民族から見れば田豫は非常にストレスのたまる相手じゃったろうな。

じゃが単に相手を圧するだけではないんじゃ。田豫は非常に質素な暮らしをしており、賞賜は全て将兵に分け与えていたんじゃよ。蛮族から贈られたものもすべて帳簿につけて官に納めていたんじゃよ。おかげで田豫の家は常に困窮していたんじゃ。

『魏略』によると鮮卑族の素利らはたびたび客として来見し、牛や馬を田豫に贈ったんじゃが、田豫はそのまま官に移送してたんじゃ。異民族たちは牛や馬では露見しやすいから金の方がよい、として金を持っていくんじゃ。

異民族たちが人払いをお願いして、田豫がその通りにすると彼らはひざまずき「私は公(との)が困窮しているのを見たので、何度も公に牛馬を贈ったのですが、公は常に官に送られてしまいました。今内密に公に金を献上いたしますから、お家の足しにしてください。」田豫は彼らの心遣いに感謝し、それを受け取るんじゃ。

そして彼らが帰った後、それらを全部外に預け、詳しく実情を報告したんじゃ。いや、田豫もぶれない人物じゃのうw

そのことで田豫は褒章を受け、絹五百匹を下賜されるんじゃよ。当然彼はそのうちの半分を官庫に貯蔵したんじゃ。

ん?半分しか入れてないのか、残りは懐に入れたのか?じゃと、そんなせこいことする訳なかろう。残り半分は異民族の連中が来た時に与えたんじゃよ。本当にぶれない人物じゃて。

異民族に「恐れられる」と言うよりは「畏れられる」、そういう人物だったんじゃろうな。

さて、田豫の紹介は以上じゃな。続いて能力評価と行くぞい。今回も全作品に出演しておるぞい。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 田豫(20歳)  80 90 125 100
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓↓ ↓↓
 田豫(45歳)  112 123 161 134

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田豫じゃが、一番の強みは異民族に対しての策略の数々じゃろうな。その知謀は対呉戦線でも発揮されておる。また陳寿は田豫が小州の刺史で終わっているのでは、能力に見合った働きを得られていないであろう、と評しており、彼の統治能力も非常に買っておるんじゃ。

軍事面も自ら国境を越えて異民族を討伐するなど、こちらも水準以上の評価ができるぞい。彼は軍事、統率、知謀、政治全ての項目で高い評価ができる、当時の劉備陣営に足りなかった部分を補ってくれる人物じゃった。それだけに彼が途中で離脱したことは劉備にとっては痛かったと言えるじゃろうな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 田豫  80 72

80

78 75

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 田豫  5 11 9 3 2 12

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 田豫  14 8 11 13 25

 

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雑談ぢゃ

さて、田豫の能力評価じゃな。

師匠のと三国志14はちょっと似ていますね。師匠のは知謀が少し突出していますが、三国志14は満遍なく能力が高いですね。そういえば田豫の統治方法を最後に載せていましたね。如何に相手を強大化させないよう、田豫は腐心していたんですね

そうじゃな。わしは異民族統治の手法が策略が多いことから知謀を高めにしておる。三国志14の能力値に偏差をかけて変換すると田豫の知力は丁度90ぐらいになるのう。

100以上でだいたい70以上になるって言ってましたよね。軍事面は70台、知謀政治が80以上、という感じですね。

そうじゃな、しかし天舞さんは政治外交が低いのう。

そう言えばそうですね。何か理由があるんでしょうか?

多分じゃが、軍人と政治家を結構明確に切り分けておるんではなかろうか。田豫は軍人として評価をしておるから、政治面はすっぱり切った。

そう言えば関羽とかも軍事面以外は結構低かったですね。

うむ、天舞さんの場合、全部高い人は少ない印象があるのう。

鄭問さんのはまたちょっと他とは違いますね。

人数が少ない分、本来なら高評価されるべき人物の能力が低めに抑えられておる感じじゃのう。

さて、今回はここまでじゃな。次で劉備陣営の紹介は終わりじゃ。陣営の人物紹介の次はまとめを行うぞい。

次も見てくださいね、それではまたです。

 

1⃣・2⃣