三国志に釣られクマー

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劉備勢力(まとめ)・その2

こちらは劉備勢力(まとめ)・その2です。その1はこちら

勢力概要

さて、劉備の勢力じゃが、かなりの変遷があったのは知ってると思うが簡単に説明しておこうかのう。

 

中山国安喜県の尉(黄巾の乱の功績)

 ↓

平原国の相(公孫瓚の推薦)

 ↓

予州刺史(陶謙の推薦)

 ↓

徐州牧(陶謙孔融、陳登等の推薦)

 ↓

予州牧(曹操の推薦)

 ↓

徐州牧(自称)

 ↓

袁紹の客将

 ↓

劉表の客将

 ↓

荊州牧(劉琦死後)

 ↓

益州牧(益州領有後)

 ↓

漢中王(漢中奪取後)

 ↓

皇帝(帝位が曹丕に禅定された後)

 

ざっとこんな感じじゃな。ずいぶん長い道のりじゃなあ

そう言えば師匠、劉備は予州の刺史と牧になっていますが、何が違うんでしょうか?

そう言えば両者の違いはまだ話しておらなんだか?まあもしかしたら同じことを二度話してるかもしれんが許してくだされよ。それとこの時期は制度の過渡期故、多少の混同は見られるから注意してくれい。両者の違いじゃが、ざっくりと以下の通りじゃ。 

豆知識

刺史と牧の違いは次のような権限の違いがあるんじゃよ。

刺史:州内の監督権のみ(秩石600石)

牧:州内の監督権+軍事権(秩石2000石)

刺史は郡太守のお目付け役のような役割しかないから、秩石も低いんじゃよ。ちなみに州内の郡太守は秩石2000石で当然郡内の軍事権も握っておる。

今の日本で言うなら、県知事の地位が低く、県の下に属している各市の市長の方が高い地位に就いておるようなもんで、組織の構造としてはちと歪なんじゃな。

そこで刺史の代わりに権限の大きい牧に任命されるようになったんじゃよ。

ある意味ではこの制度により各州の長官が軍閥化し、乱世を助長させた、と言えるかもしれんのう。とは言え黄巾の乱や異民族の介入等、これだけ州郡の軍を引き連れて、あちこちで戦わないといかんような事態に陥っておる訳じゃから、これは已むを得ん流れと言えるかもしれんのう。

 

 

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説明ぢゃ

さて、劉備勢力のまとめじゃな。まずは勢力の変遷を載せてみたぞい。

小説を読んでいたのでだいぶ移動しているのは何となく分かっていたのですが、意外と徐州と予州周辺に長いこといたんですね。

そうじゃな、どの勢力も結局劉備と言う陣営の軍の実力を買っておったから、手元近くで使いたかった、と言うことじゃろうな。

そのためにずいぶん回り道をしてしまった、と言う感じですかねえ。

うーん、そうかもしれんが、その時期を経たことで、軍人としてのさらなる研鑽を積めた、と考えれば悪いことばかりでもあるまい。

もしかしたら劉備が白望坡の戦いで勝てたのも、そう言った経験があったのかもしれんぞい。

ああ、そうですよ、戦いの説明をお願いしますよ。前回戦いの解説を行うって言ってましたよね。

う、うむ、そうじゃのう。それじゃ一番分かりやすい白望坡の戦いでもやろうとするかのう。

白望坡の戦い

この戦いはもう少しで魏の大物を仕留められたかもしれん戦いだったんじゃな。戦いの経緯はおよそ以下の通りじゃ。

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白望坡の戦い・その1

 

魏は夏侯惇を司令官、于禁と李典をその下につけたんじゃよ。劉備の方ははっきりせんのう。時期は203年と言うことじゃから、諸葛亮がいなかったことは確かじゃな。ここでは仮に関羽張飛がおったという布陣にしておくぞい。

さて、上の図の簡単な説明じゃが、どちらも中央が突出した同じような布陣じゃ。ただし、劉備側は関羽張飛の軍団が相手に見つからんよう伏兵にしておるんじゃ。

そして状況は次の通りに移っていくんじゃよ。

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白望坡の戦い・その2

劉備が自分の陣営に火を放ち、いきなり退却しだしたんじゃ。この動きに対して魏側は意見が分かれたんじゃよ。

李典は敵の策略の可能性がある、と主張したんじゃ。

夏侯惇は敵が逃げているのだから追いかけるべき、と言う考えじゃな。

于禁は何も発言しておらんが、おそらく何か言おうが夏侯惇が主将なのだから夏侯惇が決めた意見に従う、と言うスタンスじゃな。軍人がいちいち上官の決定に口をはさむべきではない、ある意味で軍人の中の軍人と言う感じじゃな。

そして夏侯惇の決定に従い、夏侯惇于禁劉備を追撃するんじゃ。そして次にこうなるんじゃ。

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白望坡の戦い・その3

于禁夏侯惇が突っ込んできおって、まず張飛の伏兵部隊が魏の先陣(ここでは于禁の軍としておくぞい)に攻撃をしかけるんじゃ。それを見て退却していた劉備も反転し、于禁を攻撃、そのままじゃと于禁が危険じゃから、夏侯惇も突っ込んできて乱戦状態になるんじゃよ。

しかしすでにそこには第二の伏兵(ここでは関羽の)部隊が潜んでおる訳じなよ。

そして最後には以下のような形になった訳じゃ。

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白望坡の戦い・その4

夏侯惇于禁劉備張飛の軍と乱戦状態になっておるところで関羽の伏兵部隊が急襲をかける。おそらく背後にも回られたんではなかろうか、こうなると包囲殲滅の危険がある訳じゃ。そこで前線の異常に気付いた李典は待機から一転して急襲をかけ、この伏兵部隊を蹴散らして夏侯惇于禁を救った訳じゃ。

まあ結果として李典のおかげで痛み分けのような感じで終わった訳じゃが、夏侯惇達はなかなか危険な状況だったわけじゃな。これは戦国時代の薩摩島津がよく使っておった、釣り野伏せの戦術とほぼ同じなんじゃよ。

 

さて、これが白望坡の戦いじゃな。この辺りから劉備の軍は精強さを増していったように思うぞい。

一つ質問があるのですが、劉備が退却したからと言って、そんな簡単に追撃するのはやはり危険だと思うんですが、違うんでしょうか。

うむ、おそらく通常ならもう少し警戒しておったじゃろう。じゃが劉備はそれまで曹操との戦いとなると、すぐに逃げるのが常套手段であった。それぐらい負け癖がついておったんじゃ。

だから今度も魏の大軍相手だから、と逃げたと言う訳ですか?

そうじゃ。この時の劉備劉表の客将な訳じゃ。いったん退却して、劉表の援軍で以て改めて勝負を挑む、という判断をしてもおかしくなかろう。

なるほど、それまで無理をせず危険な時はすぐに逃げていた訳ですから、今度も同じと思ったわけですね。

そうじゃな、ただ李典は戦場に長年おったことで、何らかの違和感を感じたんではなかろうか。おそらく于禁もそれは感じておったはずじゃ。じゃが于禁は基本軍は上意下達でなくてはならない、と言う法の番人のような考え方の持ち主じゃから、夏侯惇に従ったんじゃろうな。

于禁って関羽に降伏した人物ですが、やっぱり正史では印象が少し違いますね。

まあ降伏したのは確かじゃが、あれは于禁なりに色々考えた上での判断じゃろう。単に己の命惜しさとか、そう言うことで降伏する人間ではないぞい。関羽だって一時曹操に降伏しておるんじゃ。片方だけ蔑むのはフェアではなかろう?

そうですね。それにしてももうちょっとで劉備は大金星を挙げるところだったのに、李典は目端の利く武将ですね。

うむ、魏はまだまだこの手の武将は後から後から湧いてくるからのう。またその時を楽しみにしておくとええぞい。逆に夏侯惇は少し評価がほかの作品と違うかもしれんのう。

それはそれで気になりますね。

そうじゃな。さてもう少し紹介したいとこでもあるが、劉備絡みの戦は他の武将や勢力の紹介で出てきそうじゃから、いったんはこれで終了じゃな。次は韓馥陣営の紹介じゃな。ここは劉備陣営とはまた違った面白さがあるぞい。それではまたのう。

次も見てくださいね、それではまたです。

 

1⃣・2⃣