さて、今回紹介するのは趙浮じゃよ。
字や生没年は不明じゃ。彼も確か韓馥のところで名前の出ている人物じゃな。
彼がどのようなことをやっていた人物なのか、見ていくとしようかのう。
さて、今回は趙浮じゃな。韓馥の配下の一人じゃ。
彼も韓馥が冀州の牧を譲ろうとするのを止めた方の一人ですよね。
うむ、彼については史料は少ないが、結構重要なポジションにいたようじゃ。それでは順々に見ていくとしようかのう。
人物紹介
韓馥が同郷の荀諶を送り込み、冀州牧の地位を袁紹に譲るよう説得した時に、韓馥の長史の耿武、別駕の閔純、治中の李歴は韓馥を諫めるんじゃ。この辺りの顛末は韓馥のところに載っておるぞい。
この時『九州春秋』によると、都督従事の趙浮と程奐は韓馥の命により強力な弩隊1万を統率して、河陽に駐屯しておったんじゃ。冀州兵は伝統的に弩兵が強く冀州強弩と言われておったんじゃよ。それに対して幽州は騎馬が優秀で、幽州突騎と言われておった。
ちなみに【河陽】は司州のほぼ中央付近に位置し、洛陽の少し北の辺りなんじゃ。また袁紹はこの時【朝歌】と言うところにおったんじゃが、これは丁度冀州と司州の境界付近のところなんじゃ。
さて、この冀州牧の件を聞くと、趙浮達は急いで東下したんじゃ。途中袁紹たちは朝歌に滞在していたんじゃが、趙浮等は後からやってきて、数百艘の船と一万以上の軍勢を持ち、軍鼓を整然と打ち鳴らしながら夜間袁紹の陣営の側を通過していったんじゃよ。これ見よがしに軍を引き連れていく彼らを見て、袁紹はかなり不愉快になったようじゃ。
趙浮等は到着すると「袁本初の軍勢には一升の米すらなく、それぞれちりぢりになって離れ始めております。張楊と於夫羅が新たに味方に付いたとは言うものの、まだ自分から役に立つまでには至っておらず、相手とするに足りません。
どうか我ら従事に手勢をもってこれと対戦させてください。十日のうちに袁紹は雪崩のごとく崩れ、瓦のごとく砕け散るでしょう。明将軍はただ戸を開け放し枕を高くして休んでおられれば結構です。何の心配、何の恐れがありましょうぞ。」
と進言したんじゃが、これも韓馥は聞き入れんかったんじゃ。
そして趙浮の名前が出てくるのはここまでじゃな。その後、彼がどうなったのかは分からんのじゃよ。おそらく袁紹には仕えておらんと思うのじゃがな。水軍を率いての見事な統率ぶりを考えると、野に埋もれさすには惜しい人材だったんではなかろうか。
さて、そんなところで能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
趙浮には目立った戦績はないんじゃが、河陽から戻るときの見事な統率力は評価すべきだと思うぞい。何よりその整然とした行軍を見て、袁紹は不愉快になった、とあるが、おそらく見事な行軍に嫉妬したのもあるのではなかろうか。
また彼我の正確な分析を行い、現状なら袁紹も容易に破れる、と言う判断力から知謀も決して低くはない、と思うんじゃ。実績があればもう少し上積みできそうなんじゃが、惜しいのう。
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雑談ぢゃ
さて、趙浮の能力評価じゃな。
結構師匠の評価高いですね。統率と軍事は十分前線で使えるんじゃないですか。
うむ、やはり都督従事で一万もの兵を指揮しており、冀州へ戻る際の見事な統率力から高めに評価しておるぞい。
それでも沮授や張郃には届かないんですね。
仕方あるまい、彼らは別格じゃよ。袁紹陣営はおろか三国全ての中でもなかなか出てこないクラスの人材じゃからな。
陣営を代表とする武将としては十分合格と言うことですね。それにしても惜しいですね。
む、惜しいというのは、優秀な武将が多いことを言っておるのか?
そうです。これだけ優秀な人材がいたのに、結局すべて袁紹に譲っちゃうなんて。
仕方あるまい。韓馥は平時の名君ではあったかもしれんが、乱世の英雄ではなかった、と言うことじゃろう。
実際のゲームではすぐに引退して沮授辺りが後を継ぐと面白い勢力になりそうですね。
そうじゃな。そういうシチュエーションも見てみたいのう。それでは今日はここまでじゃな。
次も見てくださいね、それではまたです。