さて、今回は法衍の紹介じゃな。字は季謀で、生没年は不明じゃ。彼もまたある有名人と縁の深い人物であるが、紹介しないと埋もれてしまいそうなんで、ここに挙げたんじゃよ。
さて、今回は法衍の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。法姓の人物と言えば、あの忌々しい奴しかいないな。
法の付く人と言えば法正ぐらいしか思いつきませんが、そう言うことですかね。
うむ、まあ法と言う姓の人物で有名人は案外多くないからのう。法衍は法正の父に当たる人物じゃな。それでは早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、法衍についてじゃが、史書にはほとんどその記録がないんじゃよ。
蜀志『法正伝』には載っておらず、裴松之注の『三輔決録注』にわずかに名を残すのみじゃな。
それによると、法衍は司徒掾・廷尉左監となったとあるんじゃよ。
廷尉は裁判を司る役職、左監は正監と並んで、廷尉を補佐する役割、なかなかの高位に登っている。
とは言え、法衍の記録はこれで途切れてしまっているんじゃよ。官吏に就いたのもいつ頃のことかはっきりしないんじゃな。
さて、これにより法衍の紹介はおしまいじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はワシのみの評価じゃな。
能力評価
息子の法正は知謀の士であったが、法衍は法を司る役職に就いておったことから、どちらかと言うと政治の方を高めの評価としたんじゃ。
実際彼の人物はどんなもんだったのか。役職だけでははっきりしないのう。
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雑談ぢゃ
さて、法衍の能力評価じゃな。
法正はと知謀の士であったが、法衍は政治の方が高いのだな。
役職からとは言え、親族に近い評価にする師匠にしては少し珍しいですね。
うむ、まあもしかしたら堅物の父を見ていたから、法正はあのようにはっちゃけたのかもしれん、と思ったからなんじゃな。まあこの辺りは完全に想像の産物なんで許してくだされい。
それでは今回これで終わりじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るぞ、またな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。