さて、今回は陶謙のもう一人の息子、陶商の紹介じゃ。
彼も陶応同様、人物像はほとんど見えてこんのじゃよ。
彼もまた字、生没年とも不明じゃな。それでは彼の記録について見ていくとしようかの。
さて、今回は陶謙の息子、陶商の紹介じゃ。
そう言えば昨日紹介した陶応は次男と言っていましたよね。それは何か理由があるんですか?
そうじゃな、そんな難しい話ではないんじゃ、ただの並び順じゃからな。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
さて、陶商の紹介もこれまた非常に短いんじゃよ。基本的には陶応と共に語られるのみじゃからな。
魏書陶謙伝の注釈に書かれておる『呉書』に、陶謙が亡くなった時、張昭らが哀悼の辞を作った、と言う旨のことが書かれておるんじゃが、そこの最後に、陶謙の二人の息子、陶商と陶応は仕官しなかった、とあるんじゃな。
ここで陶商の方が名前が先に書かれておることから、恐らく陶商の方が兄じゃろうと思われるんじゃな。
ちなみに呉末期に陶璜と陶濬と言う兄弟がおるんじゃが、二人ともなかなかの名将だったんじゃよ。そして二人の出身地は丹陽郡、秣陵の人、と言うんじゃ。
陶謙も丹陽郡の出身と言うことから、もしかしたらどこか血縁関係があったかもしれんのう。
さて、そんなところで陶商の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は・・・うむ、やはり天舞さんには出ておるのう。
能力評価
陶商も実績がほとんどないことから、父陶謙の能力評価を参考に、少しスケールダウンさせたような感じで、こちらも評価させてもらったぞい。
こちらも実績がないから数値的には全体的に抑え目とさせてもらっておるぞい。
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雑談ぢゃ
さて、陶商の能力評価じゃ。彼も実績がないから、評価は基本無理じゃな。
天舞さんもかなり苦労して数値化していそうですね。
そうじゃな、天舞さんの陶謙も軍事系は低めで、政治とかはやや高めじゃから、似た傾向の評価にしているように思えるのう。
上で書いている陶璜等との関係は気になりますね。彼等もいつか紹介されるんですよね。
今見てきたが、ちゃんと登録はしておったのう。いずれ紹介は確実にするぞい。さてそんなところで陶応の紹介は終わりじゃな。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。