さて、今回紹介するのは許劭じゃな。字は子将じゃよ。
月旦で有名な人物批評家じゃよ。とは言え、最近は月旦と言う言葉にあまりなじみがない方も多いかのう。
さて、今回は許劭じゃな。月旦評で有名な人物じゃ。
人物評価をしていた方ですよね。有名な治世の能臣、乱世の姦雄、と言った方ですね?
う、うむ、まああれに関してはちと思うところもあるがのう。
?気になるもの良いですね、早速紹介をお願いします。
人物紹介
曹操との出会い
さて、曹操を早くから評価しておったのは橋玄じゃな。曹操の紹介のところでも少し語っておる人物じゃ。演義じゃと二喬(大喬、小喬)の父親とされてしまった人物じゃな。
『世語』によると、橋玄は曹操を評価しながらこうも言ったんじゃ。
「君はまだ名声がない。許子将と付き合うが良いだろう。」
そこで曹操は許子将の下を訪れ、許子将は彼を受け入れた、と言うんじゃよ。
じゃがこれが孫盛の『異同雑後』になると内容が変わってくるんじゃ。
曹操はある時許子将に、「私はどういう人間でしょうか?」と質問したことがあったんじゃ。許子将が返事をしないでいると、更に尋ねた。すると許子将は礼の有名な台詞を吐くんじゃ。「君は治世の能臣、乱世の姦雄だ。」
曹操を受け入れた割には剣呑な雰囲気を醸し出しておるのう。
じゃが、この言葉だけが独り歩きしておるが、気を付けないといかんのは孫盛と言う人物は、人物の発言をしばしば盛ることで裴松之も批判しておるんじゃよ。
これが当たり前のように語られておるが、本当に言われたことなのかは慎重に見極めた方がエエじゃろうな。
孫盛の話を盛った例
呂伯奢一家殺害事件の有名な台詞「我人に背くも、人をして我に背くことなからしめん。」と言うのも、この孫盛の『雑記』に書かれた台詞なんじゃが、一体誰がどのようにして、曹操のこの台詞を聞き、記録として残した、と言うんじゃろうなあ。
天下三分の計とかもそうじゃが、人払いして個人的な話をした内容と言うのは基本秘事なんじゃから、基本そう言った発言は後世の後付けと思うぐらいで丁度ええんじゃ。
じゃがそうやって作られた発言によって、その人物の人格が形成されるんじゃから面白い話よの。もっとも勝手に決めつけられた方にすれば、何を知った風なことを言いおって、と思うかもしれんがのう。
まあ、その辺り如何に真に迫らせるかも、史家の腕の見せどころじゃからな。陳寿は見事に諸葛亮のイメージ定着化に成功させたと思うぞい。孫盛はちと盛りすぎじゃな、名前のまんまじゃw
許劭の有名な人物評
荀爽と荀靖
荀彧の親世代は八龍と呼ばれ、皆優れた人物だったんじゃ。特に荀彧の叔父にあたる荀爽と荀靖は名声が高かった。皇甫謐の『逸士伝』によると、ある人が許劭に荀靖と荀爽はどちらが優れているか聞いたんじゃ。許劭は以下のように応えるんじゃな。
「二人はどちらも玉だ。慈明(荀爽)は外が曇りなく輝き、叔慈(荀靖)は内に光沢を含んでいる。」
劉曄
許劭は中原が荒れていることで、揚州に避難していたが、この時に劉曄とあったおりに「時の君主を補佐する才能がある。」と誉めたんじゃよ。
和洽
彼も魏の重臣に後々なるんじゃが、彼を推挙したのは許劭だったんじゃな。他にも樊子昭を頭巾を売る店から見出し、虞永賢を牧童から見出し、李淑才を村里の中から引き出し、郭子瑜を、鞍を置いた馬の世話役から抜擢し、楊孝祖を引き上げた、とあるんじゃ。
最後のこの楊孝祖は気になる人物じゃな、と言うのも曹操とトンチを繰り広げた楊脩じゃが、彼の字は徳祖、通称が楊徳祖、と言うんじゃ。同じ韻をふんでいることから、これはもしかしたら楊脩の一族、血縁関係がある人物やもしれんのう。
他にも彼が引き立て、優れた徳を発揮し完成した者は記録しきれないほど、とあるんじゃよ。
許劭に対する批判
蒋済と言う人物がおるんじゃ、魏の名臣であり謀臣でもあるんじゃが、彼は『万機論』において、彼が樊子昭を不当に持ち上げ、従弟の許文休(許靖)を不当に低く抑えており、彼の人物評価は不公平である、と批判しているんじゃな。
もし、本当に彼を尊ばなかったなら、人を見る目がなかったことになる。もし彼の本当の価値を知っているとするならば、優れた人物を無視したことになる、と。
じゃが、これは言いがかりに近いとワシは思うのう。元々許劭と許靖は親戚同士でしかもしっくりこない仲じゃった。
知りすぎているからこそ見えない部分、と言うものもあるとワシは思うんじゃな。
新聞や書物を読む時に適度な距離からでなければ、読みにくいのと一緒じゃと思うんじゃよ。
何より、非常に多くの人材を見出し、推挙しておるのじゃ。許靖には悪いが、一人でできることには限りがある。それ以上に多数の人材を引き揚げ、国政の礎としたことの価値は許靖一人の価値とは比較できん、とワシは思うんじゃよ。上にも書いておるように、多分に二人の距離が近すぎた、と言う問題もあったであろうしの。
さて、揚州に逃れておった許劭じゃが、この地で病に倒れ没するんじゃよ。まだ46歳と言う若さじゃ。惜しい人物を亡くした、と言えるのう。
さて、と言ったところで許劭の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかのう。今回は、むむ、天舞さんに出ているようじゃが・・・。
能力評価
さて、許劭の能力は非常に難しいんじゃが、人物を見抜く眼力、そして劉繇の下で笮融の性格を知り、劉繇に進言をする等治世の高さがあちこちにうかがえることから知謀を高く評価させてもらったぞい。政治的には高官に上り。国政で大きな実績を立てたわけではないので、少し抑え目じゃ。
軍事面は実績がないから、こちらは全体的に抑え目とさせてもらっておるぞい。相談役にうってつけの人材、と言う感じじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、許劭の能力評価じゃな。彼は優秀な相談役じゃな。すぐに南に去ってしまうがのう。
そう言えば天舞さんの、「しょう」の文字が違いますが別人ではないのですか?
その可能性は考えたんじゃが、ワシのデータ内にも、許邵と言う人物はいなかったんじゃよ。しかも人徳が極端に高い人物、さすがに他に思い浮かばんかったわい。
なるほど、能力の比較で言うと少し似ていますかね。
そうじゃな、ワシは知謀、天舞さんは外交が高い、と言う辺りで能力をうまく表現して、政治は少し抑え目じゃ。似ているとちとばかしホッとするでの。さてそんなところで許劭の紹介は終わりじゃな。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。