三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

許汜(きょし) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは許汜じゃな。字や生没年は不明じゃ。

ここで紹介する通り曹操の配下だった人物なんじゃよ。

それが史書を見ていくと何とも数奇な運命をたどっておる。彼がどんな人生を歩んだのか、紹介していくとしようかのう。

 

さて、今回は許汜じゃな。しかし一月ももう終わりか、早いのう。

一月はほとんど曹操絡みの人物の紹介で終わっちゃいましたね。しかもまだ終わっていませんよw

まあ曹操が絡んでくると、どうしてもボリュームが増えてしまうでのうそれだけいろんなところに影響を及ぼしておるんじゃよ。

今回の許汜は私はほとんど知らないですね。

うむ、それでは順番に彼のことを紹介するとしようかのう。

人物紹介

曹操配下から

許汜じゃが、彼の名前が初めて出てくるのは194年に曹操が行った徐州討伐の時じゃな。この時張邈の弟の張超は、曹操の将軍の陳宮、従事中郎の許汜・王楷と結託して曹操に謀反した、と言うんじゃ。

従事中郎は徳間書店の『三国志全人名事典』によると参謀副官と書かれておる。曹操の配下にはこのような参謀が複数おったんじゃろうな。

ともあれ、これ以降許汜は呂布配下として曹操と戦うことになるようじゃな。

呂布配下として

次に彼の名前が出てくるのは呂布配下としてじゃな。198年、曹操呂布攻略のために下邳まで攻め込んできたんじゃ。

実はこの時、曹操呂布に手紙を送り、袁術曹操それぞれに付いた時の利害を説明したんじゃ。これを読んだ呂布は一度は曹操に降伏しようかと考えるんじゃが、陳宮達はそうなった時自分たちがどうなるか、と言うのが分っておったのでこれを必死に阻止したんじゃ。

そうなると呂布にはもう袁術と手を結ぶしかない。そこで許汜の出番じゃ。『英雄記』によると、許汜と王楷は呂布によって袁術の下に派遣され、応援を求めるんじゃよ。じゃが、袁術は以前息子と呂布の娘を結婚させる、と言う約束を反故にされたことがあったんじゃ。

呂布は娘をわしにくれなかったのだから、理屈から言って負けたって当然。どうしてまた知らせにやってくるのだ」と相当立腹しておったんじゃ。

そこで許汜と王楷は「明上(おかみ)におかれましては、今呂布を救援なさらず、勝手に敗北したのだと申されますが、呂布が敗北すれば明上もまた破滅されましょう。」と説得するんじゃよ。袁術も己の現状は理解しておったので、これで戦闘準備をさせ、救援の構えを示したんじゃ。

じゃが結果としてこの目論見は水泡に帰すんじゃ。呂布曹操につかまり処刑され、袁術もまた滅び去ってしまうんじゃな。

さて、許汜は呂布と一緒に処刑されたのか?いやいや、まだまだこれからじゃよ。

劉表の賓客(?)として

さて時代は劉備劉表の下にいる時代じゃ。じゃから200年以降の話になるのう。ここにひょっこり許汜は現れるんじゃよ。

この時、許汜と劉備荊州劉表の座に同席し、3人で天下の人材について議論したことがあったんじゃ。この時許汜は陳登と言う人物について話をするんじゃ。

陳登と言う人物は広陵を収めておった人物で、上の呂布袁術の婚姻による協力関係をうまく防ぎ、呂布捕縛に大きな貢献を果たし、また北上してきた孫策軍をも撃退した、広陵では彼を慕う住民が多数いたと言う名君と呼ぶにふさわしい人物だったんじゃよ。そしてなぜかこれだけの人物が立伝はされておらん。陳寿の選考基準も色々と考えさせられてしまうのう。

さて許汜はこの陳登を「陳元龍は南方の人物ですが、傲慢な気風が抜けきれませんでした。」と批判するんじゃ。

劉備は陳登のことを知っておったので、首をかしげて劉表にどう思うか聞いたんじゃ。劉表は「許君は立派な人物だし、嘘をつくとは思えんが、一方で元龍の名声は天下に鳴り響いておるしのう。」と少し困った顔をするんじゃ。

劉備が具体的に何があったかを聞くと「下邳に立ち寄った際、ろくに言葉も交わさず、己は大きな寝台に寝て、客を寝台の下に寝かせた。」と許汜は答えたんじゃ。

それに対して劉備は「君は国士と評判が高かった。そういう人物ならこの天下動乱の時代、君は家を忘れて国家を憂え、世を救済することを嘱望されているはず。

ところが君はその逆のことをやっており、その発言には何のとりえもない。これこそ元龍が嫌うことですよ。何を話題にして言葉を交わしたらよいのか。

私なら百尺の楼上に寝、君を地べたに寝かせたいと思うでしょう。寝台の上と下の差どころじゃないですぞ。」と言ったんじゃ。劉表はこれを聞いて大笑いをしたそうじゃな。

半分はからかいもあったじゃろうが、半分は陳登はそんな男じゃないぞ、と劉備は言いたかったんじゃろうな。

許汜も恐らく最初は志を持っておったんじゃろうが、曹操を裏切った後、流れ流れていく内に、安寧を求めるようになってしまったのかもしれんのう。

さて、と言ったところで許汜の出番は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はコーエーテクモさんの三国志14に出ておるぞい、渋いところを選んでおるのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 許汜(20歳)  50 35 80 55
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 許汜(45歳)  79 62 112 84

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許汜は元々曹操の従事中郎として、参謀役におったことから知謀が高めじゃな。彼の知略は袁術を説得する際にも発揮されておると言えるじゃろう。

じゃが他はやや抑えめじゃな。劉備も指摘しておるように、本来持ってたはずの能力を発揮できておらん、と言う感じかのう。惜しいと言えば惜しい話じゃよ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 許汜  18 23 54 66 30

 

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雑談ぢゃ

さて、許汜の能力評価じゃな。彼も本来なら曹操初期の重要な参謀だったはずじゃがな。

三国志14ですと政治の方が知力より高いのですね。

この理由は良く分からんのう。袁術を説得した実績を政治面で評価した、と言うことかのう。

外交的な評価は政治と知謀どちらも、と師匠言っていましたし、この辺りはどっちが高くても問題なさそうですかね。

そうじゃな。惜しいのは多分彼は本来の実力を発揮せぬまま、歴史の表舞台から姿を消したことじゃろうな。

それにしても結構劉備も毒舌ですね。

まああれは半分は冗談も混ざっておるじゃろう。少し許汜に発破をかける目的もあったかもしれんのう。この辺りは雰囲気が伝わらんのが残念じゃな。

陳登はかなり評価高そうですね。でも魏は本当に優秀な方でも立伝されてない人多いですねえ。

そうじゃな、この辺り陳寿を少し恨むぞい。さて、今回はここまでじゃな。

分かりました、次もまたよろしくお願いします。