さてさて今回紹介するのは駱俊じゃな。
字は孝遠、生年は不明じゃが没年は197年なんじゃよ。既に劉寵のところで少し紹介しておる人物じゃな。彼が地味ではあるが、重要人物であるために劉寵も出すことにしたんじゃよ。
さて、今回は駱俊の紹介じゃな。上で書いた通り、彼は地味に重要な人物なんじゃよ。
演義には当然出てないと思うし、正史でもあまり有名という感じでもないと思うのですが、誰か親族に有名な人物でもいるのでしょうか。
うむ、彼の息子が駱統と言うんじゃ。わずかながら彼は演義にも出ておって、赤壁前に諸葛亮が呉を訪れた時に論戦を挑もうとした人物だったんじゃ。
駱統はそう言えば、少し聞き覚えがありますね。
うむ、劉寵だけでなく、この駱俊もなかなかの人物だったんじゃ。と言うことで早速紹介と行くぞい。
人物紹介
さて、駱俊じゃが『後漢書』によると、字を孝遠と言い、文武の才があり、若くして郡の役人となったんじゃ。やがて孝廉に推挙されて、尚書郎に任じられ、後に抜擢されて陳国の相となるんじゃよ。
この辺りから劉寵の下で働くようになるんじゃな。
袁術が皇帝を僭称して、袁氏兄弟の間で仲違いと争いが起こると、天下は鼎の湯が湧き立つように騒がしくなり、賊徒たちが各地で蜂起するようになったんじゃ。
陳国はそうした騒乱の地と境を接し、奸悪の一味が四方八方にいたのじゃが、駱俊は武力増強に努め、境域をしっかり守ったので、賊徒たちも侵犯してこようとはしなかったんじゃ。
彼は全ての人々を慈しみ育ててその安全を守り、天災も起こることなく、歳ごとに豊かな実りがあったんじゃよ。
ここまでの働きを見る限り、名宰相と言った感じじゃな。
後に袁術が軍勢の食料の欠乏に苦しんだ時、駱俊のところに食料を分けてほしいと申し込んできたんじゃ。
じゃが駱俊は袁術を憎んでいたので、全く相手にもしなかったんじゃ。袁術はこれに腹を立てて、劉寵と駱俊を暗殺してしまうんじゃよ。
暗殺と言う手段を躊躇なくやれる辺り、袁術と言うのは、実はなかなか油断できない男と言えるじゃろうな。
さて、これにて駱俊の人物紹介は終了じゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシ以外に天舞さんにも出ておるの。
能力評価
駱俊は文武に優れ、陳国の国境をしっかり守って敵の侵入を許さず、国内は豊かであったことから、軍政共に優れた人物と考え、平均的に能力の優れた人物と評価したんじゃ。
じゃが彼も劉寵同様、袁術の放った刺客によって倒れたことから、注意力が少し低めと考え、彼も劉寵程ではないが、知謀を抑えめとしたんじゃ。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、駱俊の能力評価じゃな。ワシは平均的に軍事政治とも高くしておるが、天舞さんは少し違うのう。
軍事面の実績はあまり見えてこないことから、こちらの方が本来の評価に近いのかもしれませんね。
まあ、軍事面は劉寵に任せ、駱俊を後方支援とするのが良いのかもしれんのう。じゃが。
んん、何かそれではダメなのですか?
まあ、ここ陳国は二人しかおらんでのう。勢力を伸ばすためには、二人とも軍政どちらも頑張ってもらわんと、隣には袁術もおるでのう。
確かに二人しかいないなら、どちらにも馬車馬の如く軍事も政治も頑張ってもらわないといけませんね。
うむ、それに息子の駱統は実は軍事面で結構活躍しておるんじゃよ。そう考えると父親の駱俊も十分軍事面の素養はあった、と思うんじゃな。さて、そんなところで豫州勢力の紹介は終了じゃな。次は豫州までの勢力図を示すとしようかの。
駱統の紹介も楽しみですね。何年後ですか?wと言うのは冗談(ではありませんが)、次もまた良ければご覧ください。他にも気になる人物がいましたら下をご覧ください。それではまたです。