さて、今回紹介する人物は耿祉じゃな。後漢末の度遼将軍じゃ。
一般的にはマイナーな人物じゃが、後漢にとっては結構重要なポジションだったんじゃよ。
さて、今回紹介する人物は耿祉じゃな。
於夫羅のところでちらっと名前が出てた方ですね。
ふむ、耿度遼将軍殿、いや、耿祉殿か。
はい、彼はこの時期からこの将軍位で間違いないかと。
張郃さんは耿祉さんのことはご存じですか?
華北において度遼将軍は花形だから、当然噂は耳にしている、ただ直接の面識はないな。
何気に重要なポジションじゃからな、度遼将軍のことも含めて、簡単に説明するとしようかの。
ふむ、ならば度遼将軍については俺が説明してやろう。人物紹介の方は任す。
うむ、それでは早速紹介と行こうかの。
人物紹介
耿祉について記述があるのは一ヶ所のみじゃな。
魏志『張楊伝』のところじゃが、反董卓連合軍で於夫羅が反逆を図った時、袁紹と張楊は同調せず、於夫羅は張楊をひっ捕らえて連れ去るんじゃ。
袁紹は大将の麹義に命じて追撃させ、鄴の南で撃ち破ったんじゃ。
そこで於夫羅はそのまま逃亡を図り、黎陽にて度遼将軍の耿祉を破って勢力を盛り返した、とあるんじゃよ。
黎陽は鄴から少し南下した兗州との境界付近にあるんじゃ。
恐らく、完全に不意を突かれる形だったんじゃろう。そうでなければ簡単にはやられなかったと思うんじゃよ。
まあ、それはあっただろうな。本来北方異民族に睨みを利かせる役割だったから、無能な人物がなれるはずもない。本来の駐屯地ではない地にて、不意打ちを食らったのであろうな。
それでは、度遼将軍についての簡単な説明をお願いしますぞい。
うむ、豆知識を使っておるようだから、それを使わせてもらうぞ。
まあ、こんなところだな。黎陽はすぐ近くに河が流れており、五原辺りとはだいぶ地形が違ったろうから、さすがに勝手が違ったであろうな。
さて、耿祉の記録はこれで終了じゃから、人物紹介はここまでじゃ。能力評価は、今回もワシのみじゃな。
能力評価
耿祉は度遼将軍として北方に睨みを効かせておったことから軍事を高めとしたんじゃ。その一方で於夫羅にやられた点から統率と知謀は抑え目。将としての評価は於夫羅より少しずつ低めとなっておるんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、耿祉の能力評価じゃな。
評価とは厳しいものだな、耿祉殿も何度か戦えば、於夫羅相手に早々遅れは取らんだろうがな。
そうは言っても残っている記録からしか比較はできませんからのう。
耿祉も他の作品には出ていないから、考察のしようがないですね。
とは言え、お主の見立では能力は100越えておれば優秀と言ったか、そうなるとまあ妥当な線か。
もう少し他の実績があれば、そうなりますのう。さて、今回はここまでじゃな。張郃殿もありがとうございました。良ければ次もまたお願いしますぞ。
うむ、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。