三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

劉囂(りゅうごう) 字:重寧(?~?)

さて、今回紹介する人物は劉囂じゃな。なかなか難しい文字を使う人物じゃ。字は正史の方には書いておらんが、ネットの『日本通信百科事典』等を見ると重寧となっておるようじゃな。さて、彼はどんな人物だったのか、見ていくとしよう。

 

さて、今回紹介する人物は劉囂じゃな。

どうも、張郃だ。劉囂殿はどちらかと言えば前漢系列の人物かな、だから劉艾殿とは少し立場を異とする人物だな。

どちらかと言えば劉備劉表達に近い、と言うことですな。

とは言え、近親と言う訳ではないからのう。前漢の皇族は枝分かれし過ぎて、かなり広範に散ってしまっておるから、面識すらない人も多いであろうな。さて、それでは見ていくとしようか。

よろしくお願いします。

人物紹介

さて、劉囂についてはあまり多くを語られてはおらんのじゃ。『董卓伝』の注釈『傅子』によると、霊帝の御世は段熲や崔烈等、名声の高かった英傑ですら官位を得るために多額の銭を払っていた、世も末だと嘆き、更に宦官のおかげで官位を得た劉囂等に至っては論外である、と辛らつなことを書かれておるんじゃ。

なかなかにひどい書かれようだな。

まあ。劉艾殿と違い、その後もあまりよろしくないことをやってしまっておるからのう。そこを見ていくとしようかのう。

まず、上の記録を植え付ける話じゃが、『風俗通』によると、司隷の劉囂は中常侍(宦官の最高位)と結びつくことによって、大臣の位に登った、とあるんじゃな。

更にここからが劉囂に対する悪評に繋がるんじゃが、『魏書』によると、董卓司隷校尉の劉囂に命じて官吏民衆の内、親不孝な子、不忠な臣、清廉でない官吏、従順でない弟をリストアップさせ、これに該当する者があればすべてその身は死刑に処し、財産は没収させた、とあるんじゃ。

これにより、愛憎により互いに訴えを起こし、民衆の多くが冤罪によって殺された、とあるんじゃよ。

董卓の片棒を担いだ、と言っても董卓の命令に逆らえるものではないからそこは同情するが、元々宦官と結びついて地位を上げた、と言う部分から心象は良くならないな。

そうじゃな。そして彼の記録はここで途絶え、董卓死後どうなったのかは分からんのじゃよ。そのため劉囂の人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行こうかのう。今回はワシの評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉囂(20歳)  25 10 65 45
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 劉囂(45歳)  51 35 95 73

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劉囂は宦官に取り入り、高位に登ったことから知略はそれなりに高かった、と評価しておるんじゃ。

じゃが、時勢を読まずに宦官に取り入り、その次は董卓の片棒を担ぎ、酷い布令を出したことで、多くの冤罪者を出してしまったことから、政治含め、他の能力は抑えめの評価とさせてもらったんじゃ。

 

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雑談ぢゃ

さて、劉囂の能力評価じゃな。

ふむ、小知な人物、と言ったところであろうか。  

確かに董卓に仕えていた、と言うことは宦官が死んだ後もうまく立ち回っている、と言うことですものね。

そうじゃな、宗正であった劉艾や、博士として名声を得ていた李儒とは前評判の段階で大きな差がありそうじゃな。董卓亡き後どうなったのかは分からんが、混乱の中殺害されたのかのう。さて、記録は少なかったが、今回はここまでじゃな。そして、やっと董卓陣営が終わったぞい

と言うことは次は勢力紹介等だな、次もよろしく頼むぞ。  

張郃さん、お疲れさまでした。久しぶりに武将ランキングもやりますね。今回はたくさん入ってきそうですね。それでは次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。