三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

韓遂(かんすい) 字:文約(?~215)その2

さて、韓遂の紹介二回目じゃな。今回は韓遂の人生をざっくりと追っていこうかのう。どこまで行けるか分からんが、順々に見ていくとしようかのう。

 

さて、韓遂の紹介2回目じゃな。

どうも、張郃だ。今回は韓遂の生涯を追っていくわけだな。 

そう言えば韓遂は亡くなった時に70歳だった、と言うことは185年頃でももう結構な年齢ですよね

215年で70余歳で亡くなっておるから、185年ですともう40歳越えてることになるかのう。確かにそう考えると結構良い年じゃな。

曹操さんより一回りぐらい年上、と言うことですね。

ふむ、そう考えると袁紹と同年代ぐらいと言ことになるかもしれんのう。袁紹の字は本初なんじゃが、最近気が付いたんじゃが、後漢に本初と言う元号があって、これが146年なんじゃよ。

袁紹殿は本初元年、つまり146年の生まれと言うことだな。 

そう言うことじゃな。韓遂は恐らく143~145年の間の生まれてじゃろうから袁紹はほぼ同年代じゃろうな。さて、それでは韓遂の生涯を追っていくとしようかのう。

人物紹介

何進への目通り・進言

『典略』によると、韓遂は字を文約と言い、同郡の辺章と共に西方で名を上げたんじゃ。辺章は都督従事となり、韓遂は計吏として都(洛陽)に赴いたんじゃが、その名声を聞いていた何進は目通りを許すんじゃよ。

この時韓遂何進に宦官誅滅を進言するが、この時の何進はその進言を聞き入れんかったんじゃ。そしてこれ以上ここにいても仕方がないと思った韓遂は西方へ帰還するんじゃな。

宦官誅滅は袁紹殿も進言しているし、何進はもっと積極的に動いても良かったかもしれないな。 

結果として、董卓を都に呼び込む、と後の歴史を考えたら最悪の選択肢を選んでしまったからのう。

後漢への反乱

宋揚と北宮玉が反乱を起こし、辺章と韓遂を担いで盟主にしたんじゃ。

じゃがこれには裏があり、『献帝春秋』によると、涼州義從の宋建と王國らが、叛くんじゃが、この時辺章と韓遂(この頃は韓約と名乗っておったんじゃ)等を人質としたんじゃ。

宋建は彼らに軍政を任せようとしておったようで、おそらくじゃが、宋建が裏で糸を引いておったようなんじゃ。

ここで宋建が君主扱いになっているのも、この裏からの影響力の高さを考慮してのこと、ということなのだな。

そう言うことじゃな。宋建のところで丞相以下百官を任命し王となった、と書いておるが、外敵に対する軍事面の対処を韓遂等にある程度委ねておったのではなかろうか。

そうして金城の辺章と韓遂は刺史・郡守を殺害して反乱を起こしたんじゃ。

皇甫嵩董卓との戦い

さて、後漢に対して反乱を起こした韓遂等じゃが、当然後漢も手をこまねいておる訳ではない。彼らは最初皇甫嵩に討伐を任せようとするんじゃ。じゃが皇甫嵩と宦官との間で軋轢もあって、左遷されてしまうんじゃ。

この辺り、本当に後漢の悪い部分が出てしまった、と言う形だな。

その後、張温が総司令官となり、董卓孫堅らを従えて討伐に向かうんじゃ。じゃがあまり捗々しい戦果は得られず、董卓が担当していた地域では羌族たちにより、董卓指揮する一軍以外の五軍は相当な被害を被った、と言うのは董卓のところでも書いたとおりじゃな。

この時は董卓には逃げられてしまったが、羌族とうまく連携し、董卓を退却させることに成功するんじゃ。

羌族をうまく使いこなし、漢の将官を翻弄する。異民族が得意とするやり方をうまく取り入れていたのであろうな。

官軍の反撃

さて、ここまで順風満帆な反乱人生(?)を送っておった韓遂じゃが、ここで大きな挫折を味わうこととなるんじゃ。

相手は皇甫嵩董卓、と言うか皇甫嵩じゃな。

この時は董卓は様々な進言を皇甫嵩にするのじゃが、皇甫嵩はそれをすべて却下し、別の戦い方で韓遂勢力の将であった王国を陳倉にて大破するんじゃよ。

陳倉の地は有名な諸葛亮が郝昭に撃退された地だな。昔からあそこは要衝であった。ちなみに皇甫嵩の戦い方で勝利を収めたから、董卓の戦術が稚拙、と言うものではないからな。勝利に導く道筋は一つに限らん。より良い勝ち方、はあったとしてもな。

そうじゃな、戦い方、考え方の違いと言うのは、個性のようなもので、それ自体に優劣は安易に就けられるものではないからのう。董卓のやり方で大敗した、と言う事実があれば別じゃがなあ。

これにより、韓遂は北宮玉を殺害し、王国も混乱の最中殺害されてしまう。そして韓遂は自らが群雄として自立しようとするんじゃよ。もう一人評価されておった辺章も病死(一説には韓遂が殺害)しておるんじゃ。

なかなか韓遂もえげつないことをやっておるな。まあこの時代の群雄は大なり小なり似たようなことをやっているからな。

そうじゃな、さて、キリの良いところなのでいったんここで終わるとするかのう。次は董卓死後からの話じゃな。それではまたのう。

 

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