三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

劉祥(りゅうしょう) 字:不明(?~?)

さて、今回から、新しい勢力、劉祥の紹介じゃな。字や生没年は不明。じゃが彼はある人物と非常にかかわりの深いんじゃよ。それが一体誰なのか、見ていくとしようかのう。

 

さて、今回は劉祥の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。ふむ、あまり余計なことは話さない方が良いかな? 

張郃さんは劉祥さんが誰かわかっていらっしゃるんですか。演義では多分出ていないですよね。

そうじゃな、別にそこまでもったいぶることではないので、早速見ていくとしようかのう

人物紹介

劉祥と言う人物じゃが、彼は蜀の名臣いやある意味では劇毒の類である劉巴と言う人物の父親に当たる人物じゃ。

劉巴と言ってもピンとこない人もいるかもしれんが、張飛が語り合おうとして泊まったが、一言も口を利かなかった人物、と言えばわかる人もいるのではなかろうか。

張飛はカンカンになって怒るんじゃが、たしなめる諸葛亮に対して「兵隊野郎と何を話すことがあるのか。」と切り捨てた人物じゃな。

能力は間違いなくあったと思うんじゃが、人物としてはクセがあった、と言えるかもしれんのう。劉巴はいずれ詳しく紹介を行うこととなるので、それまでお待ちくだされ。

さて、父親の劉祥じゃが『零陵先賢伝』によると、丁度この時期彼は江夏太守・盪寇将軍となっておったんじゃよ。そして丁度この時期、孫堅董卓討伐の軍を起こして北上した頃、劉祥は孫堅と心を一つにし、行動していたんじゃ。

じゃが、孫堅南陽太守であった張咨を殺害したことで、孫堅そして劉祥は南陽の民の恨みを買い、彼らは兵を挙げて劉祥を攻撃するんじゃよ。

劉祥も応戦するんじゃが、結局敗死してしまうんじゃな。

これが何時ごろの話かはっきりしないんじゃが、後日譚で劉表は平素から劉祥を嫌っており、この騒動にかこつけて劉巴を捕えて殺害しようとした、とあることから、恐らくは劉表荊州に赴任した後のことではなかろうか。

劉祥自身は太守や将軍に任命されていること、息子の劉巴も非常に優れていた人物であったことから、優秀な人物であったとは思うんじゃが、これ以上の事績は見えてこないため、評価が難しい人物じゃな。

とは言え、能力評価をしない訳にはいかん。早速見ていくとしようかの。今回はワシのみの評価じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉祥(20歳)  50 45 75 70
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 劉祥(45歳)  79 73 106 101

 

劉祥は太守・将軍に任命されておることから本来かなり優秀であったと思うのじゃ。特に息子の劉巴諸葛亮をして「幕下において策謀を巡らすことにおいて、私は劉巴には遠く及ばない。」と言わしめておるほどじゃから、それを元に父の劉祥も知謀と政治をどちらも高めの評価としたんじゃよ。

その一方で南陽郡の人民と戦い敗死しておることから、軍事面はやや抑えめの評価じゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、劉祥もの評価じゃな。

何とも難しいところだが、息子との対比をするとまあこんな感じか。  

劉巴はそこまで優秀なんですか。

そうじゃな。まあ優秀なのは確かじゃ。 

まあ、クセが強い面はあるが、知略政治共にそうはいない、ぐらいの評価でおかしくないだろうな  

それだけに劉祥の記録が少ないのは残念な話じゃな。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。