さて、今回は宋揚の紹介じゃな。字や生没年は不明。彼についての事跡はあまり多くはないが、比較的早くに退場したようじゃな。
さて、今回は宋揚の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。宋揚はあまり名前の通っていない人物だな。
演義には・・・多分出てない人物ですよね。宋姓だから、実は宋建の一族だったりしないのでしょうか?
そこは分からんのう。場合によっては宋建の別名だったりする可能性もあるが、さすがに同一人物だ、と言う話は聞かんからのう。
まあただ、何らかの関係はありそうですね。それでは紹介をお願いします。
うむ、それでは早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、これで宋揚についてじゃが、彼の出番はわずかじゃ。魏書『武帝紀』の裴注『典略』によると韓遂が洛陽から金城に戻った頃に宋揚と北宮玉らが反乱し、辺章と韓遂を担いで盟主としたんじゃ。
じゃがこれには異説があることは既に書いた通りで、宋建が手を引いて韓遂等に反乱させるように仕向けておるんじゃな。詳しくは宋建のところを見ていただけると良いぞい。
この辺りの事情について、張郃殿は何か分からんじゃろうか。
さすがにこの時期の涼州方面の情報までは流れてこんからな。分かっているのはせいぜい韓遂が反乱を起こしたらしい、と言うことぐらいだな。
さすがにそこまでは難しい話になるんじゃのう、残念じゃ。
さて、その後官軍の討伐などもあり、彼らの反乱は一旦終焉を迎えるんじゃよ。反乱に加担した人物の内、何人かは韓遂によって殺害されるんじゃが、宋揚がどうなったかの詳細ははっきりしないんじゃよ。
と言ったところで、宋揚の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はワシのみの評価じゃな。
能力評価
宋揚は韓遂等を盟主として反乱を起こした、と言うしたたかさから、一応知謀を高めの評価としたんじゃ。
じゃが実績が少ないため、全体的な評価は抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、宋揚の能力評価じゃよ。
韓遂等を盟主として反乱した、ぐらいではなかなか評価が難しいな。
盟主とした、と言うことから知謀を高めにしたのですね。
もう少し具体的な実績があったならば、もう少し肉付けはできるんじゃがなあ。
まあ史書も内容の残っていない部分の記述は史家の創造性に委ねられているからな。分からないなら分からないなりに、何とかまとめていくしかあるまい。
そうじゃな、全員の評価をするんじゃから、それぐらい割り切っていくしかないかの。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。