三国志に釣られクマー

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劉曄(りゅうよう) 字:子揚(?~?)その3

さて、今回は劉曄の紹介3回目じゃな。

今回は曹丕時代の劉曄を中心に見ていくとしようかのう。可能であれば曹叡時代も突入しておきたいのう。

 

さて、今回は劉曄の紹介、2回目じゃな。

どうも、張郃だ。いよいよ文帝の時代に突入するのか。彼の神眼がいよいよ冴え渡っていくのだな。 

心眼でなく、神眼ですか。

それぐらい彼の観察眼は鋭いと言っても良いからのう。ちょっと怖いぐらいなんじゃよ

今まであまり気にしたことがなかったので、逆にちょっと興味湧いてきましたね。

よし、それでは文帝時代の劉曄について見ていくとしようかのう。

よろしくお願いします。

人物紹介

劉曄の観察眼

さて、前回の漢中での話は215年頃の話じゃな。

曹操が亡くなるのは220年の年明けてすぐ、今回はそこから始まることから、前回から5年後の話じゃな。

孟達

220年のことじゃが、蜀の孟達が軍勢を引き連れて降伏してきたんじゃよ。

孟達は教養豊かで立居振舞は見事であったため、曹丕は彼の才能を非常に高く評価して寵愛し、孟達を新城太守に取り立て、散騎常侍の官位を加えられたんじゃ。

じゃが、劉曄は一目見て孟達の危うさを見抜いたんじゃな。

孟達は一時的な利得に引かれております上に、才能に頼り策を好みますので、恩寵に感じ道義を思うことができないに違いありません。

新城は呉蜀と接している地であり、もし態度を変えることがあれば、国家にとって災難を引き起こすでしょう。」

以上のように主張したんじゃが、曹丕は考えを変えず、後に孟達も反乱が起きそうになるんじゃよ。

魏諷

『傅子』によると、曹操の時代魏諷と言う人物は高い評判を持ち、大臣以下皆彼に心を寄せ、付き合った、と言うんじゃ。

じゃが劉曄は彼も一目見て、謀反を起こすに違いないと警戒しておった、と言う話なんじゃ。

さすがの慧眼だな。彼にはどんな景色が見えていたのか。ご教授願いたかったな。 

実際、魏諷も反乱を起こすが、素早く鎮圧されるんじゃよ。恐らく劉曄はそのための情報収集を怠っておらんかったのであろうな。

さて、次は劉備孫権夷陵の戦い時の逸話を見ていくとしよう 

夷陵の戦い

220年と言えば丁度前年末に関羽孫呉に斬られた時期のすぐ後の話じゃな。

そこで劉備関羽のために呉報復の出陣を決意するかどうか、詔勅を下して君臣に質問し判断させたんじゃよ。

人々の論議は全て「蜀は小国にすぎません。名将は関羽だけです。関羽は死に軍は撃ち破られ、国内は心配と恐れを抱いております。二度と出撃する機会はありますまい。」と言う意見だったんじゃ。

じゃが劉曄だけは以下のように言ったんじゃよ。

「蜀は国土狭く力弱いとは申しながら、劉備は権威・武力によって国を強めたいと謀っております。いきおい必ずや軍勢を用いて十分な力があることを示すでしょう。

その上、関羽劉備に対する関係は、道義では君臣ですが、恩愛では父子です。

関羽が殺されても彼のために軍を起こして敵に報復できないならば、最後まで恩愛を貫くと言う建前から言って不完全となりましょう。」

と言ったんじゃよ。

後に劉備は予想通り兵を繰り出して、呉を攻撃したのは皆知っておる通りじゃな。

呉は国力を上げてそれに対応しつつ、使者を派遣して藩国と称してきたんじゃ。魏国に下る、と言うことじゃな。

朝臣は全て慶賀したんじゃが、ここでも一人劉曄は言うんじゃ。

「呉は長江・漢水の向こうに離れて存在し、臣下となる心などない状態が長く続いております。陛下には舜と同じ徳を持っておりますが、しかしやつらの心には、まだ感得するところがございません。

難儀のため臣下となることを願い出たのであって、全く信用できません。

やつらは外からの危険に迫られ内の困難に出会うことがあって、初めてこの使者を出したにすぎません。その困窮を利用して襲撃して奪い取るのがよろしいでしょう。

大体一日敵を放っておけば、数代の災厄となります。考えないわけにはまいりません。」

じゃが結局曹丕は動かんかったんじゃな。そして劉備の軍は敗退するんじゃよ。

夷陵の戦い

すると呉は途端に手のひらを返し、呉の示す礼節・敬意は一変して捨て去られたんじゃよ。

曹丕は軍勢を起こして彼らを討伐したいと考えたが、劉曄は反対するんじゃ。

「やつらは期待通りの結果を得たところで、上下心を等しくしているうえに、江湖を隔てとしております。倉卒に行動することはとても困難です。

じゃが曹丕は聞き入れず呉を攻めるんじゃが、結局うまく行かんかったんじゃよ。

更に224年、広陵の泗口に行幸し、荊州・揚州の諸軍に命じて同時に進撃させたんじゃよ。臣下たちに孫権は一体自分で来るであろうか」と質問したんじゃ。

皆は「陛下が親征あそばされますからには、孫権は恐れおののき、必ずや国を挙げて対応いたします。また、あえて大軍勢を臣下に委ねることはせず、必ずや自ら引き連れてまいるでしょう。」と言うんじゃよ。

じゃが劉曄は言うんじゃ。

「彼は陛下が天子の重さを以て自分をけん制するつもりであって、江湖を越えてくるのは別の将軍の役目だと考え、必ずや兵を抑えて事の成り行きを待ち、まだ行動することはないでしょう。」

結局劉曄の言ったとおりになって、曹丕は軍を引き返すんじゃよ。

曹丕劉曄に次のように言うんじゃ。

「卿の予測は正しかった。ただ、彼らの考えを悟るだけではなく、次はわしのために二賊(呉・蜀)を滅ぼすことを念頭においてくれ。」

劉曄の予見力・観察眼はたいしたものじゃ。じゃが三国が拮抗した状況ではこれを打破するのは容易ではない、と言うことじゃろうな。 

さて、今回はここまでじゃな。後1~2回で終わると思うぞい。

 

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