さて、今回紹介する人物は張允じゃな。字と生没年は不明じゃな。彼も蔡瑁と同様、演義で一定の出番があることから、知名度はそこそこある人物と言えるんじゃろうか。そんな張允について見ていくとしようかのう。
さて、今回は張允の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。蔡瑁と共に劉表配下で彼を支えた豪族の一人だな。
演義でも出てきますが演義では蔡瑁とセットで出てくる印象ですね。
まあその辺りは正史の方も似たような感じじゃな。それでは張允について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、張允じゃが『劉表伝』を見ると彼の出番はわずかじゃな。
『典略』によると、江夏に赴任しておった劉琦じゃが、劉表の病気が重くなると見舞いに帰ってきたんじゃ。じゃが、蔡瑁と張允は跡継ぎについて劉表の気が変わるのを恐れ、次のように言うんじゃ。
「将軍はあなたに江夏の鎮撫をご命令なさり、国の東の固めになさったのです。その任務は極めて重大であります。
いま軍勢を放り出しておいでになったのですから、きっとご立腹になるでしょう。親の期限を損ない、病気を重くさせるのは親孝行ではありません。」
と劉琦に劉表へ合わせなかったんじゃよ。劉琦は涙を流しながら去った、とあるんじゃ。
蔡瑁の所でも書いているが、後継問題でこじれないようにするため仕方ない措置か。
ちなみに張允の人間関係じゃが、三国志には記載されておらんが、Wikiに載っておる『後漢書』の情報によると、劉表の甥であったようじゃな。
張允はこれぐらいの情報しかないんじゃよ。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
張允も、蔡瑁と同様参謀ではなく、また上記の情報以外の記録がないため、評価が難しいんじゃ。
そこで過去の武将も同様、蔡瑁とセット・ついと言う感じで考え、蔡瑁でやや低めとなっていた軍事と知謀を高めとして、互いの弱点を補うような評価としたんじゃよ。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、張允の能力評価じゃな。
ふむ、さすがにこれは評価の内容がバラバラだな。ただ全体的に蔡瑁よりはやや抑えめの評価だな。
抑えの度合いで言うと天舞さんと師匠は近い感じはしますね。ただ采配、政治が高いのは師匠と逆ですね。
そうじゃな、ワシも敢えて蔡瑁と対になるような評価にしなければ、同じような評価じゃったかもしれんのう。
まあ、敢えて対にする必要性も感じないが、お主も変なところにこだわるな。
まあ、人数が多すぎるので、ある程度のグループごとでまとめていくようにしないと評価がままならんからのう。さて、張允についての評価はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰ろう。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。