さて、今回は李異の紹介じゃな。字と生没年共に不明じゃな。李異と聞いてあれっと思った人もいるのではなかろか。ウチの弟子のようにのう、ほっほっほ。
さて、今回は李異の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。李異と言うと三国志演義に出てくるある人物を思い起こさせるのではなかろうか。
演義では呉の将軍として張苞と一騎打ちをする人物ですよね。その方とは別人なのでしょうか。
一応別人説と同一人物説とあるんじゃが、ここでは一応別人としておくぞい。
人物紹介
さて、李異の出番じゃが、蜀志『劉璋伝』の所に出てくるんじゃよ。
裴松之注『英雄記』によると、丁度趙韙が反乱を起こした時のこと、当初は李異は龐楽と共に趙韙の配下だったんじゃよ。
当初は成都を包囲するまでの勢いであった趙韙じゃが、劉璋配下の東州兵達の必死の反撃に会い、趙韙の本拠地である江州まで攻め込んできたんじゃよ。
この時、趙韙の配下であった龐楽と李異は寝返りを打って、趙韙を惨殺したんじゃ。
「今州内の龐羲や李異らの諸将は皆手柄を頼んでつけ上がり、外部と手を組もうと言う気があります。」
張松は益州内の豪族をけん制するためにも劉備を呼ぶ必要がある、と劉璋に説くんじゃよ。更にここで龐羲と並んで名前が出ていると言うことは、なかなかの権門だった、ということであろうかのう。
さて、劉璋の下から呉へ降った武将としては有名なところでは甘寧がおるんじゃが、彼はかなり早くに荊州の劉表・黄祖、そして208年当時は孫権配下となっておる。
一方の李異は劉備が益州に入る212年頃でもまだ益州におり、状況から見ても甘寧のように孫権陣営に身を投じるタイミングがないと思うんじゃな。
劉璋に従っていたなら、後に孫権が荊州を奪取した際に孫権陣営に身を投じたかもしれんが、そもそも李異達は劉璋に対して勝手な振る舞いをしていた訳だからな。
そして劉璋配下としての李異の記録はこれで終わることとなるんじゃ。
よし、それでは続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
李異は趙韙配下で有力な武将だったと考えられることから、龐楽同様に軍事能力を高め賭したんじゃよ。
じゃがそれ以外では特に目立った実績もないことから、軍事以外の能力は抑え目とさせてもらったんじゃよ。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、李異の能力評価じゃな。
軍事能力は高いがそれ以外はもう一つ、呉の李異と似ているな。
そう言えば確か光栄さんの三国志では武力が高くて他はボチボチ、といった能力でしたね。
まあ軍人として名前ぐらいしか残らない人物は似たような傾向になってしまうからのう。
まあ、能力値が4項目だけと言うのは、個性を出すには多いとは言えないかもしれんからな。
とは言え、これ以上項目を増やすのは自身の負担も大きいからのう。とりあえずこの4項目で勘弁してくだされい。さて、李異の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も一旦帰るか、次もよろしく頼むぞい。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。