三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹宇(そうう) 字:彭祖(?~?)その2

さて、今回は曹宇の逸話について見ていくとしようかのう。彼が罷免される際の逸話が記録によって違う、非常に興味深いものなんじゃよ。他にももうひとつ面白い話もあるので、順にみていくとしようかのう。

 

さて、今回は曹宇が罷免される際の逸話じゃが、史書によって少し違うのでそのことを中心に見ていくとしようかのう

どうも、張郃だ。あの辺りの経緯については、どうも本伝と裴松之注で記述が違ったりするからな。 

細かい部分ですが、師匠はその情報を整理したいと言うことですね。

そうじゃな、それでは早速史書ごとに記録を拾っていこうかのう。

人物紹介 

魏志『劉放伝』

魏志『劉放伝』によると238年、明帝が病気に伏せり、燕王の曹宇を大将軍に取り立て、領軍将軍の夏侯献、武衛将軍曹爽、屯綺校尉曹肇、驍騎校尉秦朗と共に政治を補佐させたい、と考えたんじゃ。

曹宇は恭謙善良な性格で、誠心誠意固辞した、とあるんじゃよ。

曹叡は少し辟易した感じで劉放と孫資を引見し、寝室内にて質問したんじゃ。

「燕王はまったくどうしてこうなんだね。」

これに対して劉放と孫資は応えて言うんじゃよ。

「燕王は本当に大任を担いきれないことを、自分でわきまえているからです。」

そこで曹叡

「曹爽を曹宇に代えても良いかね。」

と質問し、劉放と孫資はそれに賛成した、とあるんじゃ。その後多少の紆余曲折はある者の、曹叡詔勅により、曹宇らは罷免されるんじゃよ。

あくまでも曹叡自身の意志として曹宇は罷免された、と言う感じで書かれていますね。 

そうだな、明帝紀の方でも、本伝では燕王曹宇を大将軍に任じたが、27日に罷免し、武衛将軍の曹爽をその代わりとした、とあるのみだな。

魏志『明帝紀裴松之注『漢晋春秋』

魏志『明帝紀』の裴松之注『漢晋春秋』によると、これがだいぶ様相が変わってくるんじゃよ。

明帝が曹宇らを大将軍などの重要なポストに据え、政治を補佐させたんじゃが、これに焦りを感じたのが中書監の劉放と中書令の孫資なんじゃ。二人は長期間にわたって権力と帝の寵愛を独占しておったんじゃが、秦朗らとはうまく言っておらず、後々災いが降りかかることを恐れ、内密に彼らを離反させようとたくらむんじゃよ。

そしてついに曹宇が帝の傍を離れた隙をついて、藩王を政治に介入させるのは、前王の詔勅に背くものだと諭し、曹宇達の代わりに曹爽と司馬懿を推挙するんじゃ。

曹叡は一度はこの意見に従うものの、劉放らが退出すると今度は曹肇が入室して涙ながらに諫め、曹叡詔勅の停止を命じるんじゃよ。

しかし、更に曹肇が退室すると再び劉放達が駆け込んできて曹叡を説得し、最後は苦しんで自ら詔勅が書けないと言う曹叡に対し、劉放が自らベッドにのぼり、曹叡の手を取って、無理矢理詔勅を書かせ、その詔勅により曹宇達は罷免されることとなったのじゃ。

不敬にもほどがあるな。もし劉放が本当に無理やりそんなことをしたのだとすれば、九族皆〇しにあったとしてもおかしくはない大罪だ、だが・・・。 

実際はこれは創作である可能性が高い、と言うことですか。

そうじゃな。まあ彼らの意見が介入しなかった、と言うことはないじゃろうが、ベッドの上にのぼって云々、というくだりは明らかに創作クサい。物語性を感じさせる記述じゃな。

曹宇の息子について

さて、そんな曹宇じゃが、彼には一人曹奐と言う息子がおるんじゃが、彼は260年に魏最後の皇帝となるんじゃな。

さて、この場合に問題となるのが曹宇と曹奐との関係じゃ、続柄は親子であるものの、息子は皇帝であるのに対し、父親の方は藩王の一人にすぎない。

そして11月冬至を慶賀した際に曹宇は曹奐に対して「臣」と自称したんじゃよ。

さすがに思うことがあったのか、曹奐は詔勅を下し、本来敬うべき父親に「臣」と称させるのが妥当であるか、議論させたんじゃよ。

その結果、通常と異なった制度を以て尊崇され、臣下の取るべき儀礼に従わないで済むことにして奉養されるのが適当、とされたんじゃ。

具体的には次のような感じじゃな。

・天子の詔の類、臣下の上奏の類では改行して一番上に『燕王』を書くこととする

・祭祀を補佐する場合以外はすべて王の名を称することを許さない

・奉事、上書、公文書および官民にはこぞって王の諱を書いたり口にしたりすることを許さない。

こうした特別の礼遇を以て、諸侯の上に位置させるのがよろしいでしょう、という結論に至ったんじゃよ。

何と言うか非常に魏らしいことをやっておるように思えるのう。何だかんだで儒学が浸透している訳じゃな。 

曹一族が全体的に学問好きと言うか、曹奐も最後の皇帝と言う以外良く知らないのですが、普通に頭は良さそうですよね。

まあ、それでも時勢に逆らうことはできなかった、それは残念な話と言えるかのう。さて、そんなところで今回はここまでじゃな。 

それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。 

張郃さん、お疲れさまでした。皆さまもまたよろしくお願いいたしますね。

 

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