さて、今回は曹偃と言う人物の紹介じゃな。この辺りになると知っている人物はほとんどおらんじゃろうが、どんな人物かのう。
さて、今回は曹偃と言う人物の紹介じゃな。
どうも張郃だ。三国志好きの人でも、さすがに曹偃殿を知る人は多くはないであろうな。
偃と言う文字自体、ルビが振ってなければそもそも簡単に読めないですよ。
それは浅薄と言うものだ。「青龍偃月刀」これならば読めるであろう?
あ、「せいりゅうえんげつとう」の「えん」に当たる文字なのですね。確かにこれなら読めますね。
さて、この曹偃と言う人物、236年に亡くなっていると言うことから比較的若くして亡くなったようじゃが、どんなものか見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『相殤王鑠伝』を見ると、曹鑠が早死にした、と言うことで233年曹鑠の子の愍王曹潜が後を継いだが、同年逝去したんじゃ。
すると234年、子の懐王曹偃が後を継いだんじゃ。じゃが曹偃も236年逝去し、子はなかったため、領国は没収された、とあるんじゃ。
んん、この曹偃は誰の子になるのでしょうか、曹鑠の子、曹潜の子どちらとも読めるように思うのですが・・・。
これは曹鑠殿の子と考えるのが自然であろうな。曹鑠殿は早死にしていると言うことから、曹潜殿はこの時まだ幼年だったのではないか、同年に亡くなっていることから、当然子を成すこともなかったであろう。
なる小戸、早死にしている子が大人になっているとは考えにくいですものね。
そう考えると曹偃殿も幼くして亡くなったのであろうし、能力評価も上の値に達する前に亡くなっていたことになるのだな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
10歳ぐらいで亡くなっていると仮定した場合、能力はどうなるのでしょうか。
20歳から45歳で毎年1前後、基礎能力が上がっていることを考えると、20歳の時より10ずつ引いた値が10歳の時の能力であろうな。
曹偃の場合は30~50ぐらいの評価に落ち着くと言うことですね。
若くして亡くなり、事績もほとんど残っていないからこればかりは致し方ないな。
そうじゃな、さて、少し短いが曹偃についての紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、今回はここまでだな。それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。