さて、今回は曹演の紹介じゃな。と言ってもピンと来ない方が多いかのう、あの曹純の息子に当たる人物じゃ。何、曹純もあまり知らないだと・・・ぐむむむ。
さて、今回は曹演の紹介じゃな。曹純の息子で、彼の跡を継いだ人物じゃよ。
どうも張郃だ。我々知っている人間からすると、ほう「あの」曹純殿の息子か、となるところだが、現代の人からするとそれほどでもないのだな。
そうですねえ。曹純も演義ではあまり出番らしい出番が与えられていませんから、実を言うと私もあんまり・・・。
まあ、曹純殿の凄さについてはいずれ目にすることであろう。曹一族の中でも兄曹仁にも決してひけを取らぬ、優れた人物であった、とだけ言っておくとしよう。
そうじゃな、その曹純の跡を継いだ人物じゃから、知ってる人たちにとって、どんな人物であったか、気になるところじゃろうな。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
曹演の事跡を見ていくと、魏志『斉王紀』の裴松之注『魏書』にて、254年に斉王の廃位を司馬師が計画したんじゃよ。この年はちょうど司馬師を追い落として夏侯玄を大将軍にしようと李豊らが図っておった時期で、恐らくこのとばっちりを斉王も受けたと思われるんじゃ。
そしてその上奏文に署名している人物の中に、武衛将軍・安寿亭侯の曹演の名が見えるんじゃよ。
更に魏志『曹仁伝』の付伝『曹純伝』のところに、曹純が亡くなった後、子の曹演が後を継ぎ、官位は領軍将軍にまで登った、とあるんじゃ。
そして正元年間(254~256年)、平楽郷侯に昇進した、とあるんじゃ。
曹純殿の跡を継ぎ、武衛将軍から領軍将軍にまで昇進していることから、軍事・統率には一定の評価をしている、と言う所か。
実践の記録がない割に軍事面の評価が高いのは、それだけ師匠が父の曹純を高く評価している、と言うことなのですね。
知謀・政治
その一方で、同族でもある斉王曹芳の廃位に同意せざるを得なかった、司馬一族に屈してしまった点は少し評価を落とすことになったのではないか、とも思うんじゃよ。
それで知謀と政治は少し抑え目の評価としているのですね。
まあ、曹爽や夏侯玄等が悉く処刑された後であっては、どうしようもなかったとは思うがな。
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簡単解説
他の作品に出ていないのは少し寂しい話ですね。
まあ正史を謳っていても、実際気が付けば演義の影響を強く受けている、なんてことはいくらでもあるからなことだからな。
演義では大きな出番のない人物、の息子ですから仕方ありませんよね。
これはしかし、なるべく早く、父の曹純がどんな人物であったか紹介したいとこじゃのう。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。