さて、今回は曹嘉の紹介じゃな。なるほど、そうかそうか、と言っても彼について実は知らない、と言う方も多いのではなかろうか、と言うことでぼちぼちと見ていくとしようかのう。
さて、今回は曹嘉の紹介じゃな。と言っても知らない人は結構多いじゃろう。
冷静に語っていますけど、師匠のギャグ思いっきり滑っていますよ。
まあ、ここからは「曹なにがし」と言う人物がどんどん出てくるからな、変化をつけようと苦心してのことだろう。まあうまくいってるかどうかは別だが。
それで実際どのような人物なのですか?
うむ、彼は曹彪と言う人物の子供なんじゃが、覚えておるかのう?
曹彪・・・聞いたことあるような気がしますが・・・。
ふむ、さすがに忘れているか。曹彪殿は魏の楚王であり、司馬一族の傀儡になっている曹芳に、危機感を抱いた王淩殿に担ぎ上げられた人物だな。
あ、思い出しました。確か計画が露呈して、結局失敗したんですよね?
そうじゃ、もちろん曹彪もタダで済むはずもなく、自害することとなり、彼の一族は平民にまで落とされることとなったんじゃよ。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関しては特筆すべき記録は特にないんじゃよ。
評価としても平均的な値に収まっていると言うことですね。
知謀・政治
魏志『楚王彪伝』によると、曹彪が自害した後、平民に落とされた曹嘉じゃが、後に取り立てられ、常山真定の王とされるんじゃよ。
その後、裴松之の調査によると、曹嘉は晋の時代に入って高邑公に取り立てられ、元康年間石崇と言う人物と共に国子博士となり、後に東莞太守となったんじゃ。
そんな曹嘉は次の詩を石崇に送っているんじゃ。
「文と武は時に応じて用う。
(文武を)兼ねたる才は明哲にのみ在り。
嗚呼我が石生(石崇のこと)は国の俊傑たり。
入りては皇闥(宮中)に侍し、
出でては即九列(九卿、大臣)に昇る。
威検(威光と取り締まり)は青・徐を整え、
風発(議論)は呉の裔(はて)に宣ぶ。
昔謬って(あやまって)位を同じくし、
情至は魯と衛を過ぐ。
分離して十載(歳)を超え、
思いは遠く、心は結ぼれるを増す。
願わくば子(きみ)よこの誠にかんがみ、
寒暑にも契りをこえざらんことを。」
なかなか見事な詩才と言え、さすがは曹操の血を引くだけのものはあると思合わせるんじゃよ。更に王隠の『晋書』には
「魏氏の一族は抑えられ沈滞しておりまして、まったく聖恩のおぼしめし一つにかかっております。
東莞太守の曹嘉は、才能・学問は曹志・曹翕に及びませんが、良き素質と潔癖さを持ち、心映えは彼ら以上です。また既に二郡の太守を歴任しております。
臣が思いますには、先王朝の子孫を優遇なさるために、曹嘉を員外散騎侍郎に取り立てるべきかと存じます。」
とあるんじゃよ。
見事な詩才であり、また太守としても申し分のない人物のようだな。それにしても・・・。
曹操の血、恐るべしですね。
それもそうだが、彼ですら曹志殿には敵わない。その曹志も父(曹植)には敵わない。曹一族の血脈、恐るべしだな。
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簡単解説
マイナーながら、なかなか評価が高いですね。
博士になり、太守にもなり、上記のような詩才も見せているからな。実績は文句なしであろう。
そうなると上で上がっている曹志。曹翕の評価も気になりますね。
まあ、その辺りはすぐに回ってくるであろう。その時を楽しみに待っておくことだな。
そうじゃな、マイナーじゃが地味に優秀な人物、こういう人物がいると楽しくなってくるんじゃよ。と言ったところで今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。