さて、今回は曹冏の上奏文の続きじゃな。できれば今回で終わらしたいところじゃが、果たしてどうなるかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回曹冏の上奏文の続きじゃな。できれば今回できれいにまとめたいとこじゃがな。
どうも、張郃だ。昨日の内容でまだ1割も終わっていないだろう。なかなか厳しいのではないか?
え、まだそれだけしか書いていないのですか。
う、うむ、じゃから今回はなるべく重要な個所をピックアップさせる形で、その後流れを説明しようと思うんじゃよ。
人物紹介
上奏文(つづき)
魏志『武文世王公伝』の裴松之注『魏氏春秋』に載っている上奏文の続きを見ていくとしようかのう。
夏・殷・周は数十代を経過したのに対し、秦は二代で滅びたのは何故か。
・三王朝(夏・殷・周)の君主は天下とその人民を共有したために、天下もその憂いを共にした。
・秦の王は自分だけでその人民を制御したために、危難の時にも救いがなかった。
・そもそも、その楽しみを人民と共有する者に対しては、人民は必ずその憂いを共にし心配してくれる。
・その平安を人民と共にする者に対しては、人民は必ずその危難を救ってくれる。
・三王朝の王は自分だけで治めるのは長持ちしないことを理解したため、人と共にそれを治めた。
・また自分だけで守るのは強固ではないことを理解したため、人と共にそれを守った。
・親族とその他の者を併用し、同姓と異性を交えて共に立てた結果、領土の軽重は国家を鎮める役目を十分に果たした。
まずは、古代の王朝がなぜ長期間国家を維持できたのか、の簡単な説明だな。
秦についても少し言及しているのですね。
そうだな、続けて秦が何故失敗したのかが詳しく描かれておるようじゃな。
・秦は周の衰退を観察し、弱小のために権力を奪われたと判断した。
・その結果、五等級の爵位制を廃止し、郡県の官を立て、礼楽の教えを捨て去り、過酷な政治を行った。
子弟は尺寸ほどの領地さえも与えられず、内には自己を助け守ってくれる一族はなく、外にはかきとなり守りとなる諸侯はなく、仁愛の心は親戚に加えられず、恩沢は枝葉とも言うべき人々に流れない。
古代の三王朝との違いを述べていると言うことだな。
・これは江や海に船を浮かべて楫や櫂を捨て去るような不安定なものだが、秦の始皇帝は平然として、自分では関中の堅固さは千里に渡る鉄の城であって、子孫が一万代も帝王として君臨できる方策だと思い込んでいた。
・淳于越の諫めに対しても、李斯の偏った主張を聞き入れて、淳于越の意見を退けたが、その身が死んだときには委託すべき人物は存在せず、趙高のような輩に皇室を絶滅させられる結果を招いた。
・胡亥(二世皇帝)は、若い時には残酷にして非人間的な教えを習い、成長してからは狂暴な父親の所業に遭遇し、制度を変え法律を改め、兄弟に目をかけて任用することができなかった。
秦は始皇帝の独裁に過ぎたことが、後の崩壊につながった、と言うことですね。
そうだな、実質秦は二代で滅び、楚漢戦争、項羽と劉邦の戦いへとつながる訳だ。
さて、続けて漢代以降、そして魏の実情についての説明となるとこじゃが、丁度キリの良いとこなので、今回はここまでで終わりとしようかのう。良ければ次もまた御覧くだされ。
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