三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹攄(そうちょ) 字:顔遠(?~308)

さて、今回は曹攄の紹介じゃな。彼は曹休のひ孫にあたる人物で、かなり時代を下っての生まれと思うんじゃが、珍しく逸話が載っていると言うことで、ここで紹介することになったんじゃよ。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹攄の紹介じゃな、曹休のひ孫にあたる人物なんじゃよ。

随分若い世代の人物を紹介するのですね。私も知らない人物ですね。

活躍の時期が晋の時代になるからな。そんな時代の人物をわざわざ紹介すると言うことは優秀な人物なのであろうな

それでは早速能力から見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹攄(20歳)  60 95 100 105
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓
 曹攄(45歳)  90 128 134 139

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

曹攄は魏志曹休伝』に載っているから、早速見ていくとしようかのう。

曹攄は若い頃から節義を磨き、博く学問をし、豊かな文学的才能を持っていた。

晋王朝に仕えて、三公の府に召され、洛陽の令等を歴任し、有能だと評判された。

大司馬の斉王司馬冏が政治を補佐した時、曹攄は斉の人の左思と共に記室督となった。中郎の官位を経て地方へ出て襄陽太守・征南司馬となった。おりしも天下が乱れ、曹攄は賊討伐のために呉に向かい、戦い敗れて死亡した。(『曹休伝』裴注『文士伝』)

政治家としてかなり有能そうだったそうですね。一方の軍事の方はどうなのでしょうか、敗死しているようですが? 

三国志ではあまり詳しい記述がないのだが、『Wiki』を見てみると、この時味方の軍の支援を得られず孤立したために敗死したようだからな、彼の指揮の問題ではなさそうだな。

同じ『Wiki』の情報からだが、彼の統治の見事さから民衆からは「聖君」と呼ばれていたほどだったからな。 

それだけの人物を失ったのは、司馬冏にとっては大きな痛手だったでしょうね。 

 

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簡単解説

もう少し詳細の情報が載っていれば、評価は上がったかもしれませんね。

情報の不足に関しては仕方のない所だからな。。

そうじゃな、どれぐらいの評価になったのか、彼については情報が入ればまた変わるかもしれんのう。さて、曹攄に関してはここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

よし、それでは今日のところは帰るとするか、次もまたよろしく頼む。  

張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。