さて、今回は初期の曹操を支えた名臣、鮑信の息子である鮑勛の紹介じゃな。父方針の評価も非常に高かったが、この鮑勛も父に負けず、非常に優秀な人材だったようじゃ。それだけに最後が悔やまれるんじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は鮑勛の紹介じゃな。曹操初期を支えた名臣、鮑信の息子じゃな。
どうも張郃だ。鮑勛殿は9代遡ったところに、司隷校尉となった「鮑宣」と言う人物もいる、由緒正しい家柄だな。
そんなに遡って・・・自分達で言うと江戸時代に優秀なご先祖様がいた、と言う感覚ですね。
そうだな、彼自身も非常に優秀であったが、文帝に嫌われてしまったのがまずかった。
そうじゃな、しかも彼が文帝によって処刑された20日後に、文帝は亡くなっている。ほんの少しの差で彼の命脈は尽きてしまったんじゃよ。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀
軍事、知謀に関しては特筆すべき記述は特にみられないことから平均的な評価じゃな。
統率に関してじゃが、彼の最後の際に以下のような記述があるんじゃよ。
帝は寿春からの帰途、陳留郡に駐留したんじゃが、太守の孫邕が少し問題を起こしたんじゃな。軍営令史の劉曜は彼を追求するつもりだったんじゃが、鮑勛は問題はないと判断し、なだめて押しとどめたんじゃ。
さて、大軍が洛陽に帰還した後、今度は劉曜が罪を犯したため、鮑勛は免職を上奏したんじゃが、これを怨みとした劉曜は鮑勛が勝手に孫邕の事件を不問にしたと内密に上奏したんじゃ。
鮑勛は逮捕され、廷尉に引き渡され、罪状に関して議論されたが、帝は激怒しており、次のように言ったんじゃよ。
「鮑勛を生かす余地はないのに、お前たちはあえてそれを許すのか。三官以下を逮捕して刺姦に引き渡せ。鼠どもを同じ運命に合わせるのが当然じゃ。」
太尉の鍾繇、司徒の華歆、鎮軍大将軍の陳羣、侍中の辛毗、尚書の衛臻、守廷尉の高柔らはいずれも
「鮑勛の父鮑信は太祖(曹操)さまに功績がございました。」
と上奏し、鮑勛の罪を許されることを願い出たが、帝は許可しなかった。かくて鮑勛は処刑された。
~中略~
二十日の後、文帝もみまかったが、鮑勛のために慨嘆して残念がらない者はなかった。(『鮑勛伝』)
鮑勛の死に際し、これだけの著名人たちが彼の罪を許すよう、上奏しているという点に注目だな。
私でも知っている方たちが名を連ねているのですね。それだけ凄い人物であった、と言うことでしょうか?
ふむ、それでは続けて彼の政治面について見ていくとしよう。
政治
さて、それでは鮑勛の政治面の逸話じゃな。
鮑信の父の鮑丹は小府侍中まで、官位が登り、代々儒学の教養によって有名だった。
鮑勛は清廉にして節操高く、世間に名を知られた。(『鮑勛伝』裴注『魏書』)
建安二十二年(217年))、太子(曹丕)を立て、鮑勛を中庶子に任命した。
~中略~
鮑勛は太子中庶子として東宮にいた時、公正な態度を保持して(太子の)言いなりにはならなかった。大使は当然気に入らなかった。
~中略~
文帝が漢の禅譲を受けると、鮑勛は常に言上した。
「現在急務とすることは、ただ軍事と農業でございます。人民に寛大で恵み深くあられますように。たかどの、禽獣放し飼いの御苑は、後回しにされるべきと存じます。」
~中略~
黄初四年(223年)、尚書令の陳羣と尚書僕射の司馬懿はいずれも鮑勛を宮正に任命するよう推挙した。
宮正とは御史中丞のことである。帝は仕方なしに彼を起用したが、官僚たちは襟を正して恐れ、きりっとしない者はなかった。
政治面でも優れた才能を示し、陳羣や司馬懿もそれを認めていた、と言うことですか?
そうだな、ただあまりにも剛直過ぎたことで、文帝に嫌われてしまったのが、運の尽きだったな。
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簡単解説
お主の師匠も統率を高めにしていることから、この辺りは多くの人の共通認識と言うことになるのであろうな。
知謀が抑えめで政治の方が高いのは師匠と天舞三国志の共通部分ですね。
法に厳正で優秀だが融通の利かない官僚と言うのが、大体この手の評価になることが多いからな、お主の師匠の場合。
そうじゃな、鮑勛はあまりにも厳正過ぎて、曹丕に逆らい過ぎたようにも思うんじゃ。曹丕の残虐さを示す逸話として良く挙げられるが、果たして曹丕だけの問題であったか、そこは少し気になるところじゃな。
と言ったところで今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。