三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹彰(そうしょう) 字:子文(?~223)その2

さて、今回は曹彰の続きじゃな。勇猛さを謡われた彼について、今回は前回語ることができなかった逸話について見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹彰の続きじゃな。曹彰の逸話について、前回語れなかったことを見ていこうかのう。

どうも、張郃だ。異民族との戦いがまだ語られていないからな。その辺りを掘り下げるつもりか。  

確かに前回では個人の勇猛さを少し語ったのみですものね。早速お願いします。

そうじゃな、それでは早速見ていくとしようかのう

人物紹介

建安二十三年(218年)烏丸討伐前の逸話

曹彰が烏丸を討伐する際、二つのエピソードがあるんじゃよ。

建安二十三年(218年)、烏丸の反乱で出発に臨んで、太祖(曹操)は曹彰を戒めた。

曹操「家にいる場合は父と子であったが、事を担当すれば君と臣である。つねに王法によって事を行なえ。汝、そのことを心せよ。」(『任城威王彰伝』)

鄢陵侯曹彰が烏丸征伐に北方へ赴いた際、東宮に残っていた文帝は手紙をやって曹彰を戒めた。

曹丕「大将となって法規を遵守すること、征南将軍(曹仁)のようであらねばならぬ。」(『曹仁伝』)

どちらも曹彰の勇猛さは理解しつつも、将として未知数な部分に不安を抱き、きちんと法に従うように忠告しているのが、さすが親兄弟と言う感じではあるな。 

軻比能討伐について

前回、田豫の計略により、うまく敵を撃退することに成功した逸話は前回話した通りじゃが、今回はその続きじゃな。

烏丸との戦闘は半日を超え、曹彰のよろいには数本の矢が当たったが、意気はいよいよ激しく、勝利に乗じて逃げる敵を追い、桑乾に到達したんじゃ。(『任城威王彰伝』)

司令官のよろいに矢が当たる程であったことから、相当の激戦で自らも前線で戦い、軍の士気を上げていたのであろうな。 

この頃になりますと、この手のタイプの将はだいぶ減っていたのではありませんか。

実際、この頃には諸葛亮タイプの司令官がだいぶ増えていたからな。 

名士が率いるタイプの軍と言うことですね。そんな中己の武勇を前面に押し出すタイプの曹彰は珍しかったのかもしれませんね。

さらにこの後の追撃戦がまたすごかったんじゃよ。

桑乾に到達したところで、長史や諸将は皆、遠距離を進撃してきたため、兵も馬も疲れ切っている。それに指示を受けていて代をこえるわけにはいかない、奥深く入り込み、命令に違反し敵を軽視すべきでない、と主張した。

曹彰「軍を率いて進む場合、ただ勝利に専心すべきなのに、何の指示だ、蛮族はまだ遠くまで逃げていない。奴らを追えば必ず打ち破れる。命令に従って敵をそのままにするのは、良将ではない。」(『任城威王彰伝』)

本来与えられた権限以上のことは命令違反となるんじゃが、その一方で現状を一番良く把握しているのは現場の指揮官だ。結果さえ残せば、指揮官の裁量に任せると言うのは有りと言えば有りなのだ。 

かくて馬に乗り、軍中に命令した。

曹彰「出発に遅れる者は斬る。

一日一夜追いかけて、敵に追いつくと攻撃し、散々にこれを打ち破り、首を斬り生け捕りにした敵は四桁の数にのぼった。

曹彰は通常の既定の倍に当たる恩賞を将兵に与えたから、喜ばない将兵はいなかった。

当時鮮卑族の有力者軻比能が数万の騎兵を引き連れ、形勢を伺っていたが、曹彰が力戦して敵対する相手をすべて打ち破ったのを見たので、服従を願い出、北方は全て平定された。

その時太祖は長安にいたが、曹彰を行在所まで召し寄せた。曹彰が代から鄴を通る時、太子(曹丕)は曹彰に向かって言った。

曹丕「卿は新たに功績をあげ、今、西へ行ってお上に目通りするのだが、自慢せず、受け答えは常に控えめにするのが良いぞ。」(『任城威王彰伝』)

何か曹丕ってすごい気を遣っていますね。冷酷なイメージが強かっただけに少し意外でした。

それだけ曹彰殿にちょっと子供っぽい面があったのであろうな。直情的な逸話もあるし、演義張飛に少し近いものを感じるな。 

そうじゃな、史実の曹彰は勇猛な部分以外は根の単純な愛すべき猛将、と言う感じの人物だったんじゃなかろうか。若くして亡くなったのが残念じゃな。

さて、それでは今回はここまでじゃな。よければ次もまたご覧くだされい。

 

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