さて、今回は曹肇の紹介じゃな。彼は曹休の息子で、先日紹介した曹攄の祖父に当たる人物じゃ。父の優秀さを受け継ぎ、更にその優秀な遺伝子を孫へ伝達させたと思えるんじゃが、事績があまり残っていないんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹肇の紹介じゃな、曹休の息子で、彼の後を継いだ人物じゃ。
そしてその才能は曹攄へ受け継がれていくわけですね。
曹肇殿は明帝にも後継を託されかけたほどの人物だったが、それは適わず結局彼らは罷免されてしまったな。更に曹肇の弟には曹纂がいるな。
彼らがそのまま宮中で権威を維持していた場合、魏のその後は大きく変わったかもしれんのう。それでは早速能力から見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹肇は魏志『曹休伝』に載っているから、早速見ていくとしようかのう。
曹肇は字を長思と言った。(『曹休伝』裴注『世語』)
曹肇は時世にあった才幹を持ち、散騎常侍・屯綺校尉になった。明帝は病の床に伏すと、燕王宇らと共に彼に後事を託した。
しかし続いて明帝の気持ちが変わり、曹肇に詔勅を下して(彼らを免職とし)、侯の資格のまま屋敷に帰ることを命じた。
正始年間(240-249年)逝去し、衛将軍の官位を追贈された。(『曹休伝』)
才能があったらしいことは書かれていますが実績が載っていないのですね?
まあ、父の才幹を受け継いでいたとするなら、本来はもっと高い評価を得るべきだったのだろうな。軍事が高めなのは、屯綺校尉に就いていたことも関係ありそうだな。
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簡単解説
曹真の息子の曹爽は出てきていますが、こちらは他の作品には出ていないのですね。
演義でも多分出番がなかったであろうから、これは仕方あるまい。
そうじゃな、実績を積んだ彼の姿も見たかったが、残念だのう。さて、曹肇に関してはここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは今日のところは帰るとするか、次もまたよろしく頼む。
張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。