三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹芳(そうほう) 字:蘭卿(232~274)その5

さて、今回は曹芳自身の人柄などが伺える逸話がないか、その辺りを見て、曹芳の紹介の締めくくりとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回が、曹芳の最終回じゃな。今回は曹芳の人柄について見ていくとしようかのう。

安易に人柄と言うが、ちゃんと記録はあるのか?  

結構行き当たりばったりで語る時ありますからね。正直どうなんでしょうか。

うむ、実はあまりこれと言った情報はないんじゃがな。数少ない中でどんなものがあるか見ていくとしようかのう

人物紹介

孔乂の上奏

景初八年(247年)冬十二月、散騎常侍諫義大夫の孔乂が上奏した。

「~前略~、現在、天下は既に平定され、君と臣のけじめもはっきりしておられます。陛下は、ただひたすら天子の位を懈怠なく務められ、公正な心を調和をもって働かされ、恩賞と刑罰を明晰にして、彼らを用いられるべきであります。

後園で騎馬を学ばれ馬を乗り回すことをおやめになり、外出の際には必ず輦(れん、てぐるま)か馬車をお乗りになるべきであります。

これこそ天下の幸福であり、臣下の願いでもあります。」

この内容を見ると、馬に乗るのが好きな少しやんちゃな少年と言う印象だな。  

どちらかと言うと遊ぶのが好きな感じなんでしょうか、でも学問も修めていますよね。

曹丞相の子孫だけに、そこは普通にこなしても問題はないがな。  

最後、皇太后とのやり取り

司馬景王(司馬師)が帝を廃さんとして、郭芝を参内させて皇太后にこのことを申し上げた時、皇太后は帝と向かい合って坐っていた。

郭芝が帝に

「大将軍は陛下を廃して、彭城王據を即位させようと考えておいでです。」

と言うと、帝は立ち上がり出ていった。皇太后は不機嫌だった。郭芝は言った。

「皇太后は御子を持ちながら教育することがおできにならなかった。今大将軍の意志は既に決まっております上に、宮殿の外で軍隊を統率しつつ、非情の事態に備えております。

今はただその意図に従われるべきです。今更何をおっしゃることがありましょうか。」

太后は言った。

「私は大将軍に会いたい。直接言いたいことがあるのです。」

郭芝が

「どうして会うことができましょうぞ。ただ、速やかに天子の印綬を取り上げられるべきです。」

と言うと皇太后の心はくじけた。

軍隊まで出して、これはほぼ恫喝ですね。皇太后司馬師に何を言いたかったのでしょうね、気になります。

つまり、斉王殿を無理やり退位させるための強硬策と言うことだ。このことからも必ずしも書かれているような人物ではないと思うぞ。皇太后もこんな大嘘を並び立てて、と言いたかったのかもしれないが、そこはもうわからんな。

最後曹芳が太極電から出ていく際には、群臣が数十人の者が見送っており、司馬孚をはじめとして、多くの物が涙を流した、とあるんじゃ。少なくとも記録に書かれるような暴虐で無能な人物に対して、ここまでされることはないじゃろう。さて、そんなところで曹芳の紹介は終わりじゃな。次もよろしく頼みますぞい

 

 ↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい