三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹髦(そうぼう) 字:彦士(241~260)その3

さて、今回は曹髦の逸話の続きを見ていくとしようかのう。前回で曹髦は臣下達に小康と劉邦どちらが優れているか問いかけをした。これに対する臣下達の意見は果たしてどのようなものであったか、見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回曹髦の紹介、小康と劉邦どちらが優れているかの続きじゃな。

どうやら臣下の間でもこの意見は大きく分かれたようだな。  

具体的にどういう比較になるのか、興味がありますね。

そうじゃな、それではそれぞれの意見を見ていくとしよう

人物紹介

荀顗・袁亮の意見

「~前略~

小康は広く徳を施した人物で、仁者の中の英傑であり、高祖は武力に頼った人物で、智者の中の俊英であります。

仁と智は同等ではなく、二人の皇帝には差異があります。

詩経』と『尚書』は殷の中宗・高宗について叙述する際、共に『大雅』の中に組み入れています。小康はの功業の立派さは二宗より勝っている故、彼が『大雅』に入るのは明らかです。

小康の方が優れていること、詔の趣旨通りとするのが妥当と存じます。」(『高貴郷公紀』裴注『魏氏春秋』)

中宗・高宗については、弟子も詳しいことは知らぬよな?  

申し訳ありません。残念ですが、ほとんど知らないです。

この辺りの記録も古いからな、中宗は殷の9代目、高宗は22代目の王だ、どちらも殷を復興させた優れた王として記録が残っている。

小康はそれらの王と同等以上である、と言うことでしょうか、それと仁と智の件ももう少し教えてください。

仁と智に関しては過去、お主の師匠も話をしていると思うが・・・まあ良い。儒教において説かれる5つの徳目として「仁・義・礼・智・信」が挙げられている。

この内、孔子は「仁」をもって最高の道徳としている。ここから小康の方が高祖より優れている、と判断した訳だな。  

崔賛・鍾毓・虞松の意見

「小康は偉大な禹の残された恩沢と子孫にまで及ぶ幸いとを受け継ぎ、内部には虞・仍の応援を受け、外部からは蘼・艾の援助を受けており、一方簒奪者の寒浞(かんさく)は邪悪な人間で、人民に恩恵を施さず、子達も親愛の念を抱くことなく、外部からも内部からも見捨てられていました。

かかる状態にあって、国家を建て直したのは条件がそろっていたからだと思われます。

漢の高祖となりますと、庶民から身をおこし、烏合の衆を統率して、皇帝の事業を成し遂げております。徳義の面から論ずれば小康の方が優れており、功業の面から評価すれば高祖の方が上であります。

周囲の条件から言えば小康の方が容易であり、時勢から考えれば高祖の方が困難でありました。」(『高貴郷公紀』裴注『魏氏春秋』)

こちらはあくまでも高祖劉邦の方が困難な状況得あったことから、やや劉邦の方が上であると言っている感じですね。

確かにあくまでも打ち立てた功績そのものを見ると、劉邦の方に軍配が上がる、と考えているようだな。さて、それに対する曹髦の考えがどうなるか、だな。

曹髦の意見

「~前略~

最高の行為は徳義を樹立することであり、二番目が功業を樹立することである。

~中略~

更にそもそも仁者は必ず勇気を持っており、無法者を誅罰する時には必ず武力を使用する。小康の武勲の威光は必ずしも高祖に劣っているとは限るまい。

ただ、夏王朝の文書は亡失し、昔の文書が損なわれて不完全になってしまったために、勲功の盛大さが脱落して記されていないだけだ。

伍員(ごうん)のみがその大筋をざっと説明し、小康が禹の功績を復活し、以前の制度を失わず、聖天子の事業をそのまま受け継ぎ、昔の礼法に背かなかったことを述べている。

多くの才能を併せ持った正しい立派な人物でなければ、、誰が一体このようなことを担当できようか。もしも昔の書物が完全に現存していて、事実が全て詳しく書かれていたならば、一体異なった議論が存在しえただろうか。」(『高貴郷公紀』裴注『魏氏春秋』)

うーん、結構強引と言えば強引ですね。

確かにそう思えるが、最後の方の「多くの才能を併せ持った正しい人物でなければ、誰が一体このようなことを担当できようか」が全てじゃろうな。小康は楚漢戦争で劉邦の代わりは務められたかもしれないが、劉邦は小康の代わりは無理だ、と言うことだな。

確かに劉邦は英雄ではあっても、聖人君子・仁者ではありませんね。武力の行使は小康だってできる、と考えるとあながち大きく間違ってはいないのかも・・・。

まあ強引な面もあったことは否めないがな。ただそれについても高貴郷公は「たとえ取るべく点があり、当て推量が時々当たったとしても、また尊重する程ではないし、むしろ逆に後代の賢人に笑われ、私の愚昧さをはっきりさせることになろう。」と己を戒めるような言葉を残しているのだ。

しかしワシ程度じゃとあれやこれや調べないと出てこない情報をサラサラ意見できる当たり、本当に曹髦は優秀な人物じゃと思えるんじゃがな。次辺りで、終わりとなりそうじゃが、もう少しお付き合いくだされ。

 

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