さて、今回紹介するのは曹丕じゃな。言うまでもなく魏の二代目文帝じゃ。曹操の跡継ぎにして、後漢王朝から禅譲を受け、魏王朝を打ち立てた人物じゃな。このタイミングで彼の紹介とは色々偶然が重なるものじゃなぁ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹丕の紹介じゃ。とその前に弟子よ、今日が何の日か覚えておるかのう?
今日ですか・・・あ、そう言えばこのブログを開始したのが、確か丁度三年前でしたよね。
おお、よう覚えておったのう、正解じゃ。曹丕が皇帝となったのが220年、そこから丁度1800年後の2020年に、やるなら節目の今年と思い立って、ブログを始めたのが丁度3年前の今日だったんじゃ。
節目の日に、後漢王朝に幕を引いた文帝殿の紹介とは確かに奇妙な縁を感じるな。
まあこれは本当に偶然だったんじゃがのう。まあワシがのろのろやっているため、なかなか進んでいないことが原因でもあるんじゃがの。さて、早速曹丕について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
これは曹丕の個人的武術の話じゃが、これは曹丕自身の著作である典論に書いてあること故、多少の誇張表現があると思われるが、参考として乗せておこうかのう。
余は当時五歳であったが、お上(曹操)は世の中が動乱の只中にあることから、余に射術を学ばせ、六歳で射術をわきまえた。また、余に騎馬を教えてくれ、八歳で騎乗して弓射できるようになった。
~中略~
余はまた剣術を学び、多くの師匠を遍歴したが、四方の剣法はそれぞれ異なっていて、ただ都のだけが立派であった。桓帝・霊帝の頃、虎賁の王越がこの術に長じており、都において有名であった。
河南の史阿が昔、王越と共に遊学し、十分その術を会得していると称していたので、余は史阿について学び、精通した。
かつて平虜将軍の劉勲、奮威将軍の鄧展らと一緒に飲んだことがあった。以前から鄧展は手練の持ち主で五つの武器(戈・殳・戟・酋・矛・夷矛、いずれもホコの類)に精通していたと聞いており、また彼は武器を持たずに白刃の中に入ることができると称されていた。
余は彼とかなり長く剣について論じ合ったが、彼に向って将軍の法は間違っている、余は以前それ(剣術)を愛好したことがあって、やはり優れた術を会得していると言うと、彼はその機会に余と手合わせすることを求めた。
その時酒は十分に回り耳は熱くなり、酔い覚ましの砂糖キビを食っていたところだったが、早速それを棒とし、殿を折りて数合交え、三度彼の臂に当てた。(『文帝紀』裴注『典論』の「自叙」)
うーん、我褒めっぽいお話ですが、剣術の達人相手でも勝利を収めた、と言うのは大したものですね。
更にこの結果に納得がいかなかった鄧展はもう一戦と文帝殿に求めるんだが、鄧展の行動を予測していた文帝は、またも勝利を収めた、とある。武芸者としては大したものだったのであろう。
だが、何度か呉を攻めながら、ついには勝利を得ることができずに撤退している。この辺りが統率が抑え目な理由であろうな。
知謀
また、知謀に関しては以下のような記録があるんじゃよ。
黄初三年閏月、帝は劉備の軍が東に下り、孫権と交戦し、七百余里に渡って防柵を立て、陣を連ねていると聞き、群臣に向かって言った。
「劉備は戦争を理解していない。一体七百里に渡る陣営を築いて敵と渡り合えるものがいるあろうか。高原・湿地・険阻の地を包み込んで軍陣を構築する者は、敵に打ち破られるものだ。
これは戦争の場合の禁忌だ。孫権の戦争に関する上奏がいまにも届くであろう。」
七日後、劉備を破ったと言う上書が到着した。
文帝に対して、良くお前も負けているだろ、と言う意見を見かけるが、それは全てが正しいわけではない。文帝は利あらずと見れば、被害を被る前にさっと引いている。
確かにそこの判断は大事ですよね。無理をすれば夷陵の劉備のようになってしまう訳ですから。
政治
政治に関しても非常に優れており、政治面では父以上と言う話もある程じゃ、がここは多くなりそうじゃから次回以降に詳細を見ていくとしようかのう。
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簡単解説
どの作品も平均点の高い評価となっていますね。
天舞三国志の平均的高評価はすごいな。曹丞相ですら、武勇は確か10に届いていなかったはずだ。
鄭門三国志の統率28も凄いですよね。
この作品では大軍を言きいたことがあれば統率が高くなる傾向にある。それ故のことであろうな。
それにしても曹丕殿も長くなりそうじゃな。次は様々な布告や彼の時代の代表的な法令などがあれば、その辺りを紹介していこうかのう。
と言ったところで今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。