三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

王惲(おううん) 字:不明(?~?)

さて、今回は会稽の王一族、王朗の子孫らの紹介じゃな。最初に紹介するのは王朗の孫、鶯宿の息子の王惲の紹介じゃな。さて、彼には何らかの逸話があるんじゃろうか。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回から王朗の子孫の紹介、最初は王朗の孫の王惲じゃな。

王朗の息子では王粛が良く名前を見ますよね。王惲は鶯宿の息子と言うことですが、あまり聞いたことがないですね。

王惲殿は記録を見る限り、比較的若くして亡くなっているようだからな。致し方ないのであろう。 

その通りじゃな。さて、それでは王惲について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 王惲(20歳)  45 30 55 70
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 王惲(45歳)  73 46 84 101

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

王惲に関する記録は『王朗伝』にわずかに載っているようじゃな。

甘露元年(256年)王粛が逝去した喪服を着用する門弟の数は三桁に登った。衛将軍の官位を追贈され、景侯とおくりなされた。

子の王惲が後を継いだ。王惲が逝去すると子がなかったので、国は断絶した。(『王朗伝』)

子供がいなくて断絶って、江戸時代の藩のような話ですね。 

ただ、王粛には王惲以外にも複数の子がおり、彼らが王朗・王粛の遺風を継いでいったようだな。 

 

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簡単解説

そこまで突出しているわけではありませんが、政治が高い辺りは王朗に少し似ていますね?

若くして亡くなっているから記録はないが、元々才覚を持っていたから王粛殿の跡を継げたのであろうしな。

自分もその辺りから政治をちと高めとしたんじゃよ。他の王一族もどんなものか楽しみじゃのう。さて、まずは王惲についてはこんなところじゃな。

よし、それでは自分も帰るとしよう、次もよろしくな。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。