さて、今回紹介するのは王粛じゃな。後漢末から三国志の時代にかける大学者の一人として歴史に名を残しているんじゃ。この分野においては、父である王朗以上と言えるかもしれんのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は王粛の紹介じゃな。上でも書いているが、王朗の息子にして、後漢から三国時代を代表する学者じゃな。
確かもう一人有名なのは鄭玄でしたよね。
鄭玄殿とは考え方に違う部分もあったようだが、魏の中央において優れた施策を提示し、曹爽の専横に対しても強い意見を言い、易学などの優れた知識などから優れた予見なども行っているほどだ。
語ることは多くある訳じゃが、まずは評価の方から見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
王粛の軍事面に関しては特筆すべき記述はほとんどないんじゃよ。そこで評価の方としても結構抑え目な感じじゃな。
特に軍事の方は低めな評価なのですね。
知謀
知謀に関しては彼の知識を生かしたかのような逸話があるんじゃよ
時代は250年頃、王粛は光禄勲都なった頃じゃ。
その頃大きさ一尺ほどの二匹の魚が武器庫の屋根に留まった事件があった。担当官は吉兆と判断した。王粛は言った。
「魚は淵に生息するものなのに、屋根にあがった。こうらとうろこのある生物がその生息の場所を取り違えていることだ。さては辺境の将軍が甲(よろい)を棄てて敗れると言う変事があるに違いないか。」
その後、果たして東関の敗戦(252年、呉の諸葛恪に敗れた戦い)があった。(『王朗伝』)
これは易学からの予想であろうな。易学も立派な学問であるからな。次もまた同じような逸話だな。
254年、白気が天空を横切った。大将軍の司馬景王(司馬昭)は王粛にその理由を尋ねた。王粛は答えた。
「これは蚩尤(古代の英雄)の旗です。さては東南方に動乱がありますか。君がもし我が身を修めて人民を安定させますれば、安定を願う天下の人々は徳に帰服し、動乱の首謀者は真っ先に滅亡しましょう。」
翌年の春、鎮東将軍の毌丘倹、揚州刺史の文欽が反乱を起こした。
司馬景王が方策を尋ねると
「昔、関羽は荊州の軍勢を率い、漢水の沿岸で于禁を降伏させ、その挙句北に向かって天下を争おうとする意図を抱きました。
後に孫権が襲撃してその将兵・家族を捕え、関羽の軍勢は一挙に瓦解しました。
今、淮南の将兵の父母妻子はすべて内州(首都圏)におります。急ぎ進発して(侵入を)防ぎ(家族を)守り、(反乱軍の)前進を阻止するだけで、必ずや関羽と同じ土崩の形勢が出てくるでしょう。」
景王はその説に従い、かくて毌丘倹・文欽を撃ち破った。(『王朗伝』)
こちらの逸話も易学の知識を生かしているようですね。
それまでに得た知識をきちんと役立てているのはさすがだな。
政治
王粛は十八歳の時、宋忠の下で『大玄経』を読み、改めてそれについての解釈を作った。
~中略~
そのむかし、王粛は賈逵・馬融の学問に親しみ、鄭玄を好まなかった。
学説の異動を集めて『尚書』『詩経』『論語』、三礼(『周礼』『儀礼』『礼記』)『左氏』(『左史伝』)の解釈をした。
それから王朗が書いた『駅伝』を選択して定稿を作ったが、全て学官に立てられた。彼が論駁した朝廷の制度、郊祀(祭天の祭祀)、宗廟、喪事、大小の問題は百余編あった。(『王朗伝』)
解釈・注釈した古典の数がすごいですね。
しかもそれを朝廷の制度にちゃんと生かしている、と言う辺りから政治面を非常に高く評価している、と言うことだな。
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簡単解説
師匠のは政治が突出して高いですが、他はそこまででもないですね。
政治家としての実績が少ない鄭玄殿が政治135だから、実際に朝廷において実績斧こした王粛殿はもっと高くても良い、とお主の師匠は判断したようだな。
そう言うことじゃな。陳羣と言い、王粛と言い、もっと評価されてしかるべきと思うんじゃな。
さて、王粛に関しては、まだ語っていない逸話もいくつかあることから、引き続き掘り下げていく予定じゃ。今日のところはここまでじゃな。
よし、それでは今日のところは帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。