さて、今回は逢紀じゃ。袁紹陣営を代表する参謀の一人じゃな。
字は元図、生年は不明、没年は202年じゃな。
彼は袁紹の下で何をやっておったのか、その辺りを見ていくとしようかの。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は逢紀じゃな。
逢紀は少し出ていましたね。ちょっと狡猾な人物だった印象があります。
うむ、概ね間違っておらんのじゃが、何というか同じ人物とは思えないぐらい、エピソードによって受ける印象が違う変わった人物なんじゃ。
うーん、ちょっと気になりますね。それじゃあ人物紹介お願いします。
うむ、それでは行くぞい。
人物紹介
若き日の逢紀
『英雄記』によると、逢紀は袁紹が董卓の下から逃げた時に、許攸と共に3人で冀州に赴いたんじゃ。
孔子の子孫である孔融は逢紀を忠義の臣で政治を担っている、と評しておるが、荀彧は向こう見ずで、自分の判断だけで動く、と評しているんじゃよ。
逢紀は聡明で計略に長じていたため、袁紹は非常に信頼し、ともに旗揚げしたんじゃよ。
ちなみに孔融が政治を担っている人物として、他に審配が挙げられたんじゃが、逢紀と審配は元々仲が悪かったんじゃよ。
しかしある時審配が讒言により、更迭の危機に陥った時、逢紀は彼を擁護したんじゃよ。このエピソードは蒋奇の所に詳細が載っておるぞい。
袁紹が君たちは仲が悪かったんじゃないのか?と問うと「彼と争っているのは個人的感情の話で、今申し上げているのは国家のことです。」と応えるんじゃ。そして審配と逢紀は仲直りをするんじゃよ。
何と立派な話、なんじゃがのう・・・うむ、まあ続きを書いていくとしようかの。
袁紹の下での献策
『英雄記』によると逢紀は袁紹に以下のように進言しているんじゃ。
「将軍は董卓討伐と言う重大事に踏み切られながら、兵糧は他人に頼っている始末です。一州を支配しなければ、安全を保てないでしょう。公孫瓚をけしかけて冀州を攻撃させれば韓馥は必ず冀州をあなたに譲るでしょう。」と。
しかしこの進言はどこまで信用できるか、ちと怪しいのう。
時系列を追ってみると、袁紹はこれより前に配下の周昂によって公孫越を戦死させて、公孫瓚を大いに怒らせておるんじゃ。そしてその怒りを鎮めるために、唯一の根拠地であった勃海太守の印綬を公孫範に譲っておるんじゃよ。
つまりこの時の袁紹は根拠地も持たず、兵糧の宛てもない根無し草の状態なんじゃよ。こんな状況で公孫瓚を冀州に呼び込むのがどれだけ危険か、普通に考えればあり得ないと思うんじゃよ。
そもそも公孫越の死によって公孫瓚を怒らせておるし、逢紀の言うような呼び込む策を弄するまでもなく攻められておるからのう。
冀州を奪うために公孫瓚を呼び込んだではなく、公孫瓚が怒って攻め込んできたから韓馥から冀州を奪わなければなかった。冀州を奪うと言う最終目的は一緒じゃが、前提条件が違うと思うんじゃよ。
まあ、ワシが勝手にそう思っておるだけかもしれんがのう。
公孫瓚に対抗するために、冀州を奪う必要があることは進言したと思うんじゃが、それ以外の内容はちと蛇足ぽい感じじゃな。
田豊との確執
審配に対する態度を見ると立派な人物に見えるが、これが田豊と言う人物に対しては大きく違うんじゃ。
田豊は袁紹軍を代表する参謀だったんじゃが、『先賢行状』によると、逢紀は田豊の剛直な性格を煙たがって、度々袁紹に讒訴し、そのため袁紹は田豊を嫌うようになったとあるんじゃよ。
また官渡で敗れた時、袁紹は「田豊の計略に従っておけば」と嘆いておったんじゃが、逢紀はその時に「田豊は殿が敗れたことを手を打って大笑いし、自分の予言が的中したのを喜んでいました。」と讒言するんじゃ。
これにより袁紹は田豊を処刑してしまうんじゃよ。この辺り、審配を庇った人物か?と思うぐらい受ける印象が変わるんじゃ。
もしかしたら利害関係で、田豊は逢紀の権益を大きく侵害する、とかあったのかもしれんが、ここは分からんのう。
袁紹死後の逢紀
袁紹が亡くなると、袁譚と袁尚の間で権力争いが勃発するんじゃが、この時に逢紀は袁尚の方に肩入れするんじゃ。
その後曹操が攻めてきたので、兄弟で争っているわけにもいかず、協力しようとするんじゃが、袁尚は袁譚にわずかの兵しか与えず、また監視役として逢紀を送り込むんじゃ。袁譚は増兵を望むんじゃが、審配等はそれを拒絶するんじゃ。そして腹を立てた袁譚によって、逢紀は殺害されてしまうんじゃよ。
上で審配を庇い、審配との仲は修復したはずじゃが、結局ここで逢紀は審配に見捨てられるんじゃ。
しかも審配は袁譚に宛てた書簡で
「逢紀は凶悪な臣で、言葉をまげてこびへつらい、近親の関係を乱した(以下略)」と逢紀のことを非難しているんじゃ。
結局逢紀と審配の関係は表面上だけ、だったんかのう。
本当の所は本人にしか分からんことじゃが、少し悲しい話じゃな。
さて、逢紀の紹介は以上じゃ。続いて能力評価と行くぞい。今回は3作品とも出演しておるぞい。
能力評価
逢紀は策略に優れ、と言う評判があり、実際に韓馥から冀州を奪うよう進言をしていることなどから知謀を高く評価したんじゃ。また軍の事務を司っておったことから、統率もそれなりに評価しておるんじゃ。
その一方で政治面は田豊を追いやったり、袁紹死後の後継者争いで混乱をもたらしたことから抑えめじゃ。郭図もじゃが、政争を繰り広げ国内を衰退させた臣下は、政治か知謀のどちらか高ければ、もう片方は低くなるような評価にしておるんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、今回は逢紀の能力評価じゃな。
ちょっと特殊なのがコーエーテクモさんの能力でしょうか。彼だけ統率などの軍事面が低いですね。
そうじゃな。軍の事務に長け、その一方で性格に難がある、と言う点である人物とよく似ていると思うんじゃよ。
んん~~、一体どなたでしょうか?
まあそれは、その人物の順番が回ってきてのお楽しみじゃ。何年後になるか分からんが楽しみに待っておるんじゃなw
また気の遠くなることを・・・ちゃんと紹介してくださいね。
うむ、まあやり出した以上は簡単にやめることはないぞい。
逢紀は軍の事務を仕切っとった、と言うことから、兵の調達、配置や布陣等に詳しく、ある程度こなせるはず、と言う判断から統率をある程度評価したんじゃよ。天舞さんや鄭問さんも恐らく似たような感じじゃろう。
これで審配のように実際防衛戦などで実績があれば、もう少し統率を評価できるんじゃが、この辺りが限界じゃのう。
それにしても袁紹陣営は特定の能力に尖った武将が多いですね。
うむ、幸い人数が多いから軍団として足りない能力を補うと良いじゃろうな。それができるのが袁紹陣営の強みじゃ。
全部合わせる30人近くになりそうですよね。他の陣営でここまで人がいる勢力は今のところありませんからね。
そうじゃな、その辺りは勢力コラムにて語っていくとしよう。それでは今回はここまでじゃな。
次も見てくださいね、それではまたです!