三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

文醜(ぶんしゅう) 字:不明(?~200)

さて、今回は文醜じゃな。文醜顔良と並ぶ袁紹軍の2大将帥じゃ。

字と生年は不明、没年は200年じゃな。

彼も顔良同様、実績がはっきりしないのう。 

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は文醜じゃな。彼も顔良同様勇猛で名を知られた人物じゃ。

私も顔良とセットで名前が出ていますよね。彼も顔良同様、関羽に斬られたんですか?

演義や吉川三国志等ではそうじゃが、文醜に関しては関羽は恐らく無関係じゃな。

そう思う理由がある、と言うことでしょうか?

うむ、まず文醜に関しては関羽伝では何も記述がないこと、それと顔良を斬って功績を上げたことで、関羽劉備の下へ戻ろうとしていた、と言うことじゃな。

曹操には恩があるから功績を上げてから劉備の下へ帰る、と言うのですね。

そうじゃ、この時関羽劉備の家族も連れて行かねばならんから、許昌に戻っておると思われるんじゃ。

しかも劉備も汝南の黄巾残党と共に、曹操の後背、南方を荒らしておったから、官渡の方には関羽は戻っておらん可能性が高いんじゃ。

関羽としては劉備の所在が分かればすぐにでも戻りたいでしょうからね。

関所破りとかは実際にやってるんでしょうか?

うむ、あの辺りも演義の創作じゃな。大体あそこで名前の出てくる関所の位置を調べると、えらい遠回りをすることになるからのう、そんなことはやらんと思うぞい。

うーん、やはり小説は小説、と言うことですね。

うむ、だいぶ脱線してしまったのう。では文醜の紹介に行くぞい。

人物紹介

顔良と共に袁紹軍の将帥に

袁紹公孫瓚を破った後に、顔良文醜を将帥に任命したんじゃ。孔融と荀彧の間で顔良文醜について語っておるのは顔良の方で既に語っておる通りじゃな。 

kumajisan.hatenablog.com

延津での戦い

顔良を斬った後曹操は白馬の包囲を解き、住民を移住させると、黄河に沿って西に移動したんじゃ。

袁紹黄河を渡って曹操を追い、延津の南までやってきたんじゃ。袁紹軍は文醜劉備が指揮官となり、5~6,000の騎兵を率いてきたんじゃ。が、袁紹曹操を攻める時精兵10万、その内騎兵は一万を選抜した、と袁紹伝に書いてあるので、いくら何でも劉備文醜の指揮で騎兵5~6,000は少々盛り過ぎな気がするのう。ちなみにこの時曹操軍の騎兵は600程度しかおらんかったようじゃ。

まあ6,000は少々盛り過ぎな気がするが、それでも文醜達の率いる兵と曹操達の兵では数に大分差があった、と言えるじゃろうな。

しかし曹操は輜重隊をうまく囮に使い、この兵力差を覆したんじゃよ。輜重隊を敢えて敵の目につくところに置いておき、そこに文醜軍が群がり、陣形が乱れた所を急襲し、文醜を討ち取ったんじゃ。

どれだけ兵数が多くとも、陣を成していなければ簡単に敗れる、戦の恐ろしさが良く分かるエピソードじゃな。

軍を動かす、特に敵を攻めるために突進をかける時などは、足並みを揃えないと陣形が崩れることになるので、その弱点をうまくカバーできるような組織、システムが必要なのじゃよ。

サッカーとかを見ていれば良く分かるが、本来攻撃が期待されるFWの選手が、守りに回っているようではおしまいじゃからな。

ハードワークと言えば聞こえは良いが、守備の選手たちで手が足りるなら、攻撃役の選手はやはり攻撃に専念すべきなんじゃよ。

まあ守備をさぼる訳ではないが、相手を追い回すのではなく、上手く相手に詰めてパスコースを限定させる程度でも、後ろの守り易さは全然変わってくるからのう。

ちと余談になるが、戦争の戦術とサッカー等の戦術は近しい部分が結構多い。敵の裏をかき、敵のいないところを選んで進軍し、敵の手薄なところを攻めよ、とかまんまサッカーの戦術に使える内容じゃからな。

関係なさそうじゃが、意外な所で繋がっておるのが面白いのう。

ちと脱線が過ぎたが、結局文醜は輜重を奪うために陣を乱し、守りが薄くなったところで攻め込まれ、斬られた、と言うことじゃな。荀彧の言うとおりにやられてしまったわけじゃ。猛将じゃが知略面のサポートが欲しかったところじゃのう。

さて、それでは能力評価と行くぞい。今回は3作品とも出演しておるぞい

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 文醜(20歳)  140 70 30 15
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓ ↓↓
 文醜(45歳)  178 101 57 40

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文醜顔良同様非常に勇猛である、と言う評判から軍事は高めじゃな。彼の勇猛さは敵味方とも認めておるからのう。軍の代表する将帥、と言うことからも統率はそれなりにしておる。

その一方で知謀や政治面は抑えめじゃな。特に顔良と違い、文醜は明確に策略でやられておるので、顔良よりももう一段階、抑えておる形じゃな。全体的には顔良より尖った評価になってしまったのう。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 文醜  85 94 25 25 40

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 文醜  13 9 3 1 1 6

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 文醜  23 9 4 2 19

 

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雑談ぢゃ

さて、今回は文醜の能力評価じゃな。

何か皆似たような感じですね。軍事や武力は鄭問三國志以外は文醜の方が高くて、それ以外は顔良の方が高い。

そうじゃな。これに関してはコーエーテクモさんの評価の影響が大きいんじゃろうな。この二人の能力関係は、恐らく初代三国志の頃からほとんど変わっておらん。

そして結局彼等に関する詳細な資料がないため、どうしてもコーエーテクモさんの評価に準じてしまうんじゃな。

そう考えるとやはりコーエーテクモさんが最初に項目を決めて武将データを作ったのは凄い話ですね。

うむ、無から有を生み出すのは、すでにある技術を発展させるのとは全く違う才能が必要じゃからな。

先人達の偉業には感謝しかないのう。自分では到底たどり着けん領域じゃからな。

これだけ良い悪いと言う評判はあるのに、実績が残っていないのは残念な話ですね。

まあ敗者じゃからな、敗者の記録は抹消され、悪しく語られる。こればかりは洋の東西を問わず、不変の真理じゃからな。

さて、雑談が多すぎた気もするが、今回はここまでじゃな。やっと袁紹陣営も終わりが見えてきたぞい。

袁紹も終わったら袁紹陣営のまとめコラムを作ってくださいね、それではまたです!