三国志に釣られクマー

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劉備(りゅうび) 字:玄徳(161~223)・その1

さて、三国英雄の一角、劉備の紹介じゃよ。

字は玄徳、幽州涿郡涿県の出身じゃな。生年は161年、没年は223年じゃな。

さすがにここを見に来る人で劉備のことを全く知らないと言う人はほとんどおらんじゃろう。じゃが演義しか知らない人も多いかもしれん。

正史の劉備とはどんな人物か。簡単にまとめて紹介していこうとするかのう。

劉備紹介その2(知略・政治面)

劉備紹介その3(その他・能力評価)

人物紹介

さて、劉備の紹介じゃな。

そう言えば紹介の仕方をどうするか考えている、と言ってましたよね。

うむ、このブログは基本的に能力を紹介することが目的の一つになっておるじゃろ。

と言うことは評価基準となるエピソードを中心にまとめるのが良いんじゃなかろうか。

言わんとすることは何となくわかるんですが、もう少し具体的に説明してください。

そうじゃな、まず評価項目が軍事、統率、知謀、政治とあるじゃろう。

はい、4項目でまとめていますよね。

じゃから例えば劉備の戦績を列挙していく。その次に知略を生かした場面、最後に政治的な実績があればそれを列挙する。それらの実績をもとにワシが評価した能力を表示する、と言う感じじゃな。

後は能力とは関係ないが、面白いエピソードやちょっと意外な話等があればその紹介も行うぞい。

なるほど、だらだら事績を書き連ねるよりはそちらの方がすっきりするかもしれませんね。

まあやってみないと分からんがのう。あくまでもテキスト量が多すぎる人に対しての措置で、万人に適用できるようなやり方でもないからのう。

まあ、まずはやってみましょうか。ダメだったらまた変えれば良いんですよ。

そうじゃな。それではまずは劉備の戦績から見ていくとしようかの。

軍事面の実績 

劉備戦績

    対黄巾   

   対下邳賊   

    曹操   × (高唐)

    対張純   

    曹操    (徐州1)

    対袁術    (淮陰)

    呂布   × (徐州1 不戦敗)

 対楊奉・韓暹   

    呂布   ×  (小沛)

    呂布    (徐州2)

 対劉岱・王忠   

    曹操   × (徐州2)

    曹操   × (白馬)

    曹仁   × (汝南1)

    対蔡陽    (汝南2)

    曹操   × (汝南3)

夏侯惇于禁   

    曹操   × (長坂)

    曹操    (赤壁

    対金旋   

    対韓玄   

    対趙範   

    対劉度   

 対劉璝・張任    (涪)

    李厳    (不戦勝)

    劉循    (雒)

    劉璋    (成都

    孫権    (荊州1)

    張郃    (宕渠)

    張郃   × (広石)

   夏侯淵    (定軍山)

    張郃    (漢中)

    曹操    (漢中)

    対李異    (秭帰)

    陸遜   × (夷陵)

 

                      35戦 20勝10敗5分

 

およそ以上になるかのう。トータルの勝率は5割7分じゃな。これを高いと見るか低いと見るかは人によって違うじゃろう。じゃが荊州での夏侯惇于禁戦以降じゃと19戦14勝3敗2分じゃ。これじゃと勝率は7割3分ほどまで上がるんじゃ。この後半の勝率はなかなか凄いと思うぞい。

 

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雑談ぢゃ

さて、劉備の軍事面の実績じゃ。どう思ったかのう?

演義のイメージだと完全に戦下手と思っていましたから、思ったよりも強くてびっくりしました。特に荊州以降の戦績は凄いですね。これ孔明達の力じゃないんですか?

そうじゃのう、演義じゃと全て諸葛亮徐庶龐統等の力を借りて、と言う感じじゃが、正史では基本軍事面はほぼ劉備独力でのモノが多い。戦術面の補佐は漢中攻防戦で法正の力を借りておる程度じゃろうな。

劉備の強さの秘密は何でしょうか?

そうじゃな。負けると感じた時の見切りの早さと、勝ち目があると踏んだ時の粘り強さ。そして負けても離反しない、部下を引き付ける魅力じゃろうな。

益州攻略戦や、漢中攻防戦でも最前線で活躍しておるのは魏延黄忠らの武官で、劉備は彼等をうまく配置し能力を引き出させている印象じゃな。

これは夷陵の時も同じで当初は呉班馮習等が前線で李異を攻撃し、撃退してるんじゃよ。

赤壁以降だと曹操以外では張郃陸遜しか勝てていないんですね。

うむ、夷陵の方は結構有名じゃろうから張郃の時を説明するが、劉備は兵一万を10部に分割し、夜を狙って張郃の陣を急襲したんじゃ。しかし張郃は自ら親衛隊を率いて白兵戦を率い、これを撃退したんじゃ。

おお、張郃凄いですね。

うむ、劉備もこの敗戦は結構ショックだったようじゃ。正史には書かれておらんが、蜀の『地理志』によると、この敗戦後劉備成都に使者を送り、諸葛亮に兵の増員を要求しておるんじゃ。正史でも正確な時期は書いておらんが、漢中攻防の折、兵員の要求をしたことは記録されているんじゃよ。

うーん、そこまでしたのですか。でもその前にも一回戦ってそちらは劉備が勝っているんですよね?

うむ、まあそこは色々と張郃に不利があったが故なんじゃよ。劉備自身は常に張郃を警戒しており、定軍山で夏侯淵を斬って漢中攻防でかなり形成有利な状況になりながら、「一番の大物(張郃)を仕留めていないではないか。」とぼやいておるんじゃ。

ああ、そしてその次の攻防は引き分けたんですね。

うむ、張郃は崩れそうじゃった軍をうまく立て直し、劉備に付け入るスキを与えなかったんじゃ。

劉備劉備でこのまま張郃を攻め落とさなければ、次は曹操が攻めてくると分かっておったはずじゃ。それはそれで怖かったろうがその恐怖を乗り越えて曹操と対峙し、よく粘ったと思うぞい。

どちらも見事ですね。何というか玄人の戦いっぽい感じがします。

そうじゃなあ、二人とも黄巾の乱から戦っており、共に袁紹の下で曹操と戦った時期もある、考えてみれば戦友でもある訳じゃからな。

互いに見知った相手、と言うことですね、そう考えるとちょっとアツいですね。

うむ、さてちと劉備張郃の話ばかりになってしまってスマンのう。とりあえず軍事面の紹介はこんなところじゃ。

次は知略や治世でどうだったか、ですね。次もお願いします。

 

1⃣・2⃣3⃣