三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

張登(ちょうとう) 字:不明(?~?)

さて、今回は張登じゃな。王雋の名が出るきっかけとなる人物じゃ。

彼も字や生没年は不明じゃ。

既に結構彼の事績は語られておるが、彼にはまだちょびっとだけエピソードがあるんじゃ。そこを紹介していくとしよう。 

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は張登の紹介じゃな。

いよいよ真打ち登場と言う感じですね。

そうじゃなあ、しかし彼ですら史書の中ではほんのわずかの箇所に名を残すのみじゃ。

優秀と言ってもどこか突き抜けないと、なかなか史書に名を残すまでは至らない、と言うことですね。

そうじゃな、じゃが少ないながらも彼は優れた実績と共に名を残せた。たいしたもんじゃよ。それでは人物紹介といこうかのう。

人物紹介

さて、張登じゃが彼が王雋を黒山賊から救ったことや夏逸を無実の罪から救ったことから明らかじゃな。

 

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さて『王朗集』によると、張登が上官二人の命を救ったことから、王朗は「二人の上官を助けた道義はよろしく顕彰すべきです。」と上奏したんじゃよ。

しかし当時曹操には優先してやるべきことが他に多く、抜擢して新たな官位に付ける余裕が無かったんじゃ。

そして曹丕の時代になり、曹丕が皇帝になった黄初元年(220年)、司空となった王朗は太尉の鍾繇と共に連名で上奏して、併せて張登の職務における勤労ぶりを称揚したんじゃよ。それにより詔勅が降りたんじゃが、その内容は

「張登の忠義は顕著であり、職務においては功労がある。官名官位はいやしいとは言え、誠実さは顕彰すべきである。宮中(皇帝)の食膳は親近の任務であり、張登に当たらせるのが適当である。今、張登をもって太官令(食膳長)とする。」

と言うものじゃな。親近は側近の意味かのう。地方の小役人が皇帝の側近の役割に任じられた、と言うことじゃろうか。そう言う意味では大抜擢じゃのう。

ちなみに「太官令」は少府府に属しておるんじゃ。小府は九卿の一つで、宮中の財政、衣服宝貨珍膳の類を司るようになっておるんじゃよ。太官令は皇帝の食膳の任務に当たる訳じゃから、確かに少府府に属するのも納得じゃな。

位階は第七品とそこまで高くはないが小さな県の長よりも上じゃな。石高は600石、1石は約20リットル、米じゃと16㎏じゃろうか。

600石じゃと単純に計算すると10トンぐらいか。こう考えると結構な量じゃのう。

こうして張登はその実績を認められ、皇帝側近としての栄誉に預かった訳じゃな。いろいろ言われる曹丕じゃが、結構粋なことをやるではないか。

さて、人物紹介はこれで終わりじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回はワシ評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 張登(20歳)  120 50 55 85
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓ ↓↓
 張登(45歳)  156 79 84 117

 f:id:kumajisan:20201126234738p:plain 

張登は黒山賊に殺害されそうな王雋を体を張って、賊と戦い撃退して、王雋の命を助けた実績から軍事を高くして評価しておる。また夏逸を正しく調べ、無実の罪から救った実績から政治も高めじゃ。他は実績がないことから並程度の評価じゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、今回は張登の能力評価じゃな。

弱小勢力として考えると、彼は貴重な戦力になりそうですね。

うむ、軍事の高い彼に兵力を集中させることで、まずは他の弱小勢力を攻め取っていき、強豪と張り合える力を蓄えていくことじゃな。

他の弱小勢力と違い、ある程度できそうな可能性を感じますね。

まあ冀州内は強敵が多いから、并州辺りへ脱出する方が良いじゃろうな。

なかなか厳しい地域ですねえ。袁紹も良く勝ち抜けましたね。

そうじゃな。運だけで勝ち抜けるような地域ではないのは確かじゃろうな。

さて、今回はここまでじゃな。次はいよいよ、三国の一角を支配した劉備陣営の登場じゃな。

ちょっとワクワクしますね、次も見てくださいね、それではまたです。