三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

閻行(えんこう) 彦明(?~?)

さて、今回は閻行の紹介じゃな。字は彦明、彼は演義では出番がないため、知名度はさほど高くはないんじゃが、彼もまた一代の勇者、とでも言うべきじゃろうか。なかなかすごい人物なんじゃよ。

 

さて、今回は閻行の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。閻行殿か、彼も色々と苦労した人物であるからな。 

最近知名度が上がってきていますが、演義だと出てこないですよね。

そうじゃな、彼の存在はある人物の名誉にもかかわってくるから、演義には採用できんかったのであろう。それでは閻行について見ていくとしようかのう。

よろしくお願いします。

人物紹介

益荒男同士の激突

さて、閻行じゃが、彼は西方で活躍しておった張既のところで名前を見ることができるんじゃよ。

『張既伝』の裴松之注の『魏略』によると、閻行は金城の人で、年少の頃からますらおとの評判があり、最初は下っ端の将校として韓約(韓遂)に従っておったんじゃ。

さて、時代は建安年間であるから、191年から数年後の話じゃが当初盟友であった馬騰韓遂が互いを攻撃し合う間柄になったんじゃよ。

この時にライバルとなる人物が閻行の前に立ち塞がった、と聞いたらもう大体誰の子とかは想像つくじゃろうか。

そう、馬騰の息子の馬超じゃな。馬超もこの当時ますらおとして評判だったんじゃよ。

そして正史では珍しい益荒男同士の一騎打ちが起こったんじゃ。

閻行は馬超を突き刺して矛を折り、その折れた矛で馬超の首筋を思いっきりぶん殴り、ほとんど彼を殺すところであった、と言うからすさまじい話じゃな。

基本は指揮官がこんな戦いをしているようでは指揮官失格なのだが、まだ若い二人と言うことで、自らも前線で戦う立場であったのだろうな。 

演義じゃと五虎将軍の一角である馬超が無名の武将に殺されそうになった、とか失態でしかないからのう。演義にはとても書けん話じゃな。

曹操との会合

『魏略』の続きじゃが、建安十四年(209年)、閻行は韓遂の使者として曹操の下を訪れるんじゃ。曹操は彼を手厚くもてなし、上奏して犍為太守に任命するんじゃ。閻行はその機会に自分の父を宮中警護に入れてもらいたいと請願したんじゃ。

西方へ帰って韓遂に会うと、曹操の言を伝えるんじゃ。

「文約殿にご挨拶する。卿が初めて兵を挙げた時は追い詰められた挙句のことであって、(反乱の意思があったわけではない。そのことについて)私は全て明らかにしておいた。早くこちらに来て一緒に我が王朝を正し助けるのが至当と存ずる。」

閻行はついでに韓遂に向かって言うんじゃ。

「私もまた将軍のために軍を起こしてから30余年経っておりますが、民も兵も疲れ果て、領地もまた狭くなっております。早くこちらから近づくべきです。だからこそ先に鄴にいた時、私の方から申して老父を都に行かせることに決めました。

実際、将軍も一子を派遣して真心を示されるがよろしいでしょう。」

韓遂も少し逡巡したんじゃが、結局閻行の父母と一緒にその子を東へやったんじゃ。じゃが悲劇はすぐそこまで迫っておったんじゃ。

馬超の反乱

韓遂が西方の張猛の討伐に向かい、留守として閻行が元の陣営を守っておった時のことじゃ。

馬超がぐるになって反逆をたくらみ、韓遂を立てて都督とすることにしたんじゃ。

韓遂が遠征から戻ってくると馬超鍾繇が将軍(韓遂)を捕まえる役を仰せ付けました、関東の人間は信用なりません、と言って韓遂を焚きつけるんじゃ。

普通に考えれば鍾繇殿がそんな反乱してください、と言うようなあからさまなことをするはずないのだがな。 

馬超は父(馬騰)を捨て韓遂を父と頼むから、韓遂も子を捨てて私を子としてください、と頼むんじゃ。

じゃが閻行はさすがにこれを受け入れる訳にはいかないと、韓遂を諫めるんじゃが、韓遂はこれを受け入れんかったんじゃ。

仕方なく反乱に付き合うが、韓遂曹操が馬を合わせて話し合うときに、丁度閻行もその後方にいたんじゃ。

すると曹操

「孝子となることを考えなければいかぬぞ。」

と閻行に言うんじゃ。暗に「都にいる親に対して親不孝なことはするな。」と閻行に忠告してやったんじゃな。

馬超達が敗北すると、閻行も韓遂に従って金城に帰るんじゃ。そしてこの時曹操馬超韓遂の一族を処刑するんじゃ。

だがこの時曹操は閻行の父は捕縛はしているが、処刑しておらんのだ。誰が元凶だったのかを見抜き、正確な判断を下す。これはそうそうできることではないであろうな。

韓遂との決別

曹操はこの時閻行に手紙を送るんじゃ。

「文約のやっていることを見ていると馬鹿らしくなる。わしは前後に渡って彼に手紙をやり、充分に説明したのだが、こんな風ではもうこれ以上辛抱ができぬ。卿の父はもちろん諌議として無事である。しかし牢獄の中は親を養う場所ではない。それにお上も長い間人の老人を養うわけにはいかぬ。」

暗にこちらにつくように説得をするんじゃ。

韓遂は閻行の父だけが健在と聞くと、彼を縛り付けるために無理やり末娘を閻行にめあわせるんじゃよ。曹操が疑心暗鬼になって閻行の父を処刑すれば、閻行ももう曹操の下には行けなくなる、との遠謀じゃな。

韓遂もなかなかえげつないことをやる。これで閻行殿は追い詰められたな。

曹操もさすがに閻行を疑った、と言うことでついに閻行は部下を統率し、韓遂を攻撃するんじゃが、さすがに勝てなかったんじゃ。じゃがそれにより閻行は曹操の信用を得たんじゃよ。

彼は東へ逃れ、曹操の下へ向かい、曹操は上奏して列侯に取り立てたんじゃよ

長年西方で韓遂馬超に振り回され苦労しておったが、最後は少し報われたのではなかろうか。

そうじゃな、さて、その後の閻行の事跡は見当たらず、これで閻行の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかのう。もちろん彼は全作品に登場じゃ。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 閻行(20歳)  145 50 65 55
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓
 閻行(45歳)  183 79 95 84

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閻行もまたその武勇は関中方面では一、二を争うほどの剛の者で、その実力は馬超を追い詰めるほどじゃ。そのことから軍事は非常に高い評価となったんじゃよ。

じゃが彼も龐悳同様、あくまでも前線の指揮官であり、大軍を統率する司令官と言う感じではないことから統率や保管能力もやや抑えめじゃ。ただ曹操に対する正確な評価から、知謀は少し高めとしたんじゃよ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 閻行  73 84 61 58 60

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 閻行  14 1 2 2 1 7

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 閻行  19 5 9 9 20

 

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雑談ぢゃ

さて、閻行の能力評価じゃな。

皆軍事関係の評価が高いな、だが、お主と天舞三国志は突出して軍事の評価が高いのだな。  

天舞さんは雰囲気としては典韋さんや許褚さんのような親衛隊長的な評価ですかね?

そうじゃな、逆にコーエーテクモさんは結構バランス型じゃな。 

お主も統率が低いことからどちらかと言えば天舞三国志寄りの評価と言うことになるのだな。 

そうじゃな、じゃが知謀もそこそこ評価したことで、奇襲部隊用の人材としても使えると思うんじゃ。さて、マイナーな勇者閻行の紹介じゃが如何じゃったろうか。今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。