三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

盛憲(せいけん) 字:孝章(?~204?)

さて、今回から新しい勢力の紹介じゃ。まずは呉郡太守であった盛憲の紹介じゃな。字は孝章、生没年は不明じゃが、ネットの情報を見ると204年が没年のようじゃ。彼は演義では出番がない人物じゃが、史書においてはある人物と関わりがあったようじゃな。

 

さて、今回紹介するのは盛憲じゃな。

どうも、張郃だ。呉郡太守と言うことは、丁度陳温殿や周昕殿の東の地域を治めておった訳だな。 

彼は全然知らないですね。どんな人物だったのか気になりますね。

うむ、演義には全く出てこんし、正史でも彼の次の呉郡太守となる許貢の方が有名であろうからのう。

許貢って前回も出ていた、孫策と絡む人物ですよね。

さよう、しかも今回紹介する盛憲とも実は因縁があるんじゃよ。その辺りも含めて見ていくとしようかのう。

人物紹介

若き日の盛憲

さて、盛憲についての記述を見ていくと呉志『宗室伝』の裴松之注のところに彼の名前が出てくるんじゃ。

裴松之注の『会稽典録』によると、盛憲は立派な度量を持つ人物であった、と言うんじゃ。彼は孝廉に推挙されて尚書郎の任を当てられ、後に呉郡太守にまで昇進したが、後に病気のために官を去った、とあるんじゃ。

じゃが、これには異説があるんじゃ。

『呉録』によると、盛憲が高岱と言う人物を取り立て、孝廉に推挙するんじゃが、その後許貢が呉郡にやってくると、郡を乗っ取ってしまったんじゃ。

そのままだと盛憲の身が危ない、と感じた高岱は盛憲を許昭と言う人物の家に盛憲を匿ってもらい、難を避けさせることに成功したんじゃ。

『会稽典録』では病気で官を辞したことになっているが、『呉録』では許貢に郡を奪われたわけだな。 

この時は高岱の機転で難を逃れた盛憲であるが、次に来る驚異の前ではそうもいかんかった。そう、孫策の揚州侵攻じゃ。『会稽典録』の続きじゃが、孫策は呉郡・会稽一帯を平定すると、その地の実力者たちを次々と誅殺していった、とあるんじゃ。

特に以前から高い名声を持っていたことから盛憲は目の敵とされていたようなんじゃ。

意外な助けも虚しく

ここで意外なところから助けの手を差し伸べようとしたのが、誰あろう孔融だったんじゃよ。

『会稽典録』によると孔融は元々盛憲と親しい交わりがあったようで、孔融は盛憲が孫策の毒牙にかかるのではないかと心配して、曹操に手紙を送って盛憲を助けようとしたんじゃ。

手紙の中では盛憲のことを「まことに大丈夫中の大丈夫であって、広く天下の政治に一家言を持つ人々も、皆彼のおかげで名を揚げることができたのでございます。」と言い、更に「盛孝章殿は天下に大きな名声を持たれ、九州の民衆が揃って称賛いたします方なのであります。」と言って何とか救ってもらおうとしたんじゃ。

曹丞相をあれだけ嫌っていた孔融殿がここまで言葉を尽くして助けたいと思うのは相当だな。

そうじゃな。実際この手紙に曹操も心を動かされたようなんじゃ。

曹操はこの手紙を読むと盛憲のことを気に入ったようで、騎都尉として彼を召し出そうとしたんじゃ。じゃがその命令書が届かぬうちに、盛憲は孫権に殺害されてしまったんじゃよ。

ここでいきなり孫権の名前が出てくるのは不思議かもしれんが、孫権は196年頃に呉郡陽羨県の県長になっておるんじゃ。さらに呉郡で太守代行をやっておった朱治孫権を孝廉に推挙しておったことから、孫権孫策の下で呉郡周辺を統治しておったような感じだったんじゃ。

恐らくその過程で、孫策が目の敵にしていた盛憲を捕まえ、処刑したのではなかろうか。と思ったが、どうもネットの情報を見ると、盛憲の没年は204年と言うことらしく、孫策はあまり関係ないようじゃな。

孫権も自己の権力基盤を確立させるため、なかなかむごいことをやっておるようじゃな。

そうじゃな、残念な話じゃ。さて、盛憲の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシの評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 盛憲(20歳)  35 100 50 90
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 盛憲(45歳)  62 134 79 123

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盛憲はその名声の高さと高岱や許昭、孔融などが何とか命を救おうと尽力してくれたこと等から、非常に人徳の高い人物、と言うことでここでは統率を高い評価としたんじゃ。

また政治家としても非常に優秀と言うことから政治も高めとした一方、軍事や知略面は未知数と言うことで、こちらは抑えめの評価とさせてもらったんじゃよ。

 

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雑談ぢゃ

さて、盛憲の能力評価じゃがどうかな。

かなり優秀だな、統率と政治が高い、と言うのは太守にとって理想的ではないか。 

それにしても孫策はそこまでなぜ殺害してしまったのでしょうか。

一つは董卓と同じ理由じゃな。孫家は偉大な武人の家、ではあっても名家ではない。そう言う相手に見下されるのが孫策はとても嫌がっておったようじゃな。 

劣等感から多少でも見下してくるような相手は許さない、という感じか。 

まあ孫権も配下をまとめるのに相当苦労しておったからのう。盛憲がそんな態度を取ったのかは分からんが、孫策もちと性急すぎたと思うのう。さて、今回はここまでじゃが、盛憲の人物について如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。