さて、今回紹介するのは孫静じゃな。字が幼台で、孫堅は字が文台と「台」の字が共通になっておる孫堅の弟じゃな。生没年は不明じゃ。それでは孫静について見ていくとしようかのう。
さて、今回は孫堅の末弟孫静の紹介じゃな。曹氏一族と比べると孫氏一族はちと地味な印象があるが、孫静はそれを良く表した人物なのかもしれんのう。
どうも、張郃だ。孫静は確かにそれほど目立つ武功がある訳ではないか。とは言え、彼等も孫堅の弟として恥じぬ能力を持っていたと思うがな。
この辺りは演義とかでどう描かれるか、と言うのも大きいのでしょうね。
そうじゃな、それでは孫静について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて孫静に関してはあまり目立つ記述はないんじゃが、孫堅がはじめてことを起こした時、孫静は同郷の者や一族の者達5~600人を糾合して、後の守りを固め、人々は皆よく彼の指示に従った、とのことじゃ。
その後、孫堅が亡くなり、孫策が後を継いで劉繇を撃ち破り、近辺の諸県を安定させた後、会稽後略の際に孫静を呼ぶんじゃよ。
この時会稽太守の王朗が固陵で食い止めており、孫策は何度も河を渡って戦いを仕掛けたが、勝つことができずにいたんじゃ。
そこで孫静が進言するんじゃ。
「王朗は要害を背にして城に立てこもっておるのですから、すぐにそれを陥落させることは困難です。
査瀆はここから南へ数十里の距離にあり、道の要衝となっております。かしこから敵の内部に足場を築いてゆかれるのが良いでしょう。
これぞその備えなきを攻め、その不意を突くと言う戦法です。私が自ら軍勢を率いて先鋒となりましょう。必ず撃ち破ることができましょう。」
孫策はその進言を採用し、王朗に気づかれないように査瀆への道を進み、高遷にある軍営を襲撃したんじゃ。
王朗は驚き周昕等を差し向けたんじゃが、孫策は周昕らを破って首を斬り、勢いに乗って会稽郡を平定したんじゃよ。
正面から倒せなければ弱点を探しそこをつくのは兵法の常道であるが、それをさらっと言ってのけるあたり、見事な情報収集力と判断力だ。
この活躍により、孫策は上表して孫静を奮武校尉に任じて重要な任務に当てようとしたんじゃが、孫静は故郷やそこにいる一族の者を懐かしがって、官渡に就くことは願わず、故郷に留まってその守りに当たりたいと願ったんじゃ。
孫権の代になると将義中郎将にまで昇進したが、官を退いた後、家で亡くなったんじゃよ。
能力はあったが、控えめな性格であったがため、目立つ実績はなかった訳じゃな。じゃが少ない実績からも優れた才能を示していると思うんじゃよ。
さて、孫静の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は全作品に登場じゃな。
能力評価
孫静は王朗攻略のための策を孫策に示し、その突破口を示したことから知謀をこの中では高めとしたんじゃ。また自ら先鋒となり、王朗軍撃破のきっかけを作ったことから、軍事も高めじゃな。
ただ、大軍を率いる経験がないことと、政治面では特筆すべき事績がないため、これらは抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、孫静の能力評価じゃな。
これは面白いように評価が分かれているな。お主は軍事が高いが他は統率が高いのだな。
知謀が高いのは共通ですね。軍事と統率の違いはなんででしょう。
故郷で守りを固める、と言う部分を統率として評価するのと、奇襲の先鋒として活躍した部分を評価するかで変わってくるんじゃろう。
役職的には校尉とかで将軍職までに入っていないから、盲夏侯殿とかとは役割が違うと思うがな。
そうじゃな、じゃからワシは軍事の方を高評価させてもらったんじゃよ。さて、孫静の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。