今回は丁零の大人、児禅の紹介じゃな。一応鮮卑族の大人と言う扱いにはしているんじゃが、ちょっと調べてみたら、これもまたいろいろ考察の余地はありそうなんじゃな。
さて、今回は児禅の紹介じゃな。以前児孝徳と言う人物がおったから、今回は読みに迷わずに済んだんじゃ。
どうも、張郃だ。上で書いている、考察の余地とは彼の出身地のことを指しているのだな。
ん、どういうことでしょうか、丁零と言うのは何か特別な土地だったりするのですか?
有体に言えばそうだ。かの地丁零と言うのは、はるか北方に位置する。
ちと簡単な地図を載せようかのう。
ちと文字が小さくなってしまったが、上の方に青枠で囲っている部分が丁零の地なんじゃ。ここは地図上で見るとバイカル湖の南に面した地域に当たるんじゃよ。
バイカル湖って、ロシアじゃありませんか。異民族が入ってくると世界の広がり方が尋常じゃないんですね。
そうだな、そしてこの後漢時代、丁零の地は鮮卑族の支配下ではなかったようだ、つまり、児禅も別の部族だったのかもしれないな。
もしかしたら今のロシア人風な風体だったのかもしれませんのう。さてさて、余談はさておき、早速能力の方を見に行くとしましょうかの。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『明帝紀』によると、夏4月(旧暦)に軻比能が、丁零の大人の児禅を引き連れて幽州に到着し、名馬を献上したとあるんじゃ。児禅の記録はこれだけじゃな。
なるほど、外交絡みの実績があるから、知謀と政治がそれなりに高いのだな。
軍事は異民族である故に、軍事はそれなりに高めなんですね。ただ実績が少ないことから、全体的には評価が抑えめなのですね。
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簡単解説
児禅は本来の読みはどうなるのでしょうね。
さすがに中華以外の人物の名前までは知らないからな。興味があればおぬしらが良く使っている情報網から調べてみれば良いのではないか。
そうですね。それにしてもバイカル湖とはまた随分遠い印象があります。
大地はどこまでも無限に広がっている、とかつては思っていたが、現代の文明でも中原を走破するのに、それなりの時間がかかるわけだからな。
情報伝達はさすがにタイムロスがほとんどありませんがのう。人や物が移動するには、さすがに一瞬、と言う訳にはなかなかいかんようじゃのう。さて、児禅は一体何人だったのか、と言う所に思いを馳せながら、今日は終いとしておこうかのう。
それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。