さて、今回は劉備の孫、劉理の子の劉胤の紹介じゃな。彼は劉理の跡を継ぐんじゃが、若くして亡くなってしまったようじゃな。
さて、今回は劉胤の紹介じゃな。劉備の孫と言ってもこの辺りになってくると知らない人が多いんじゃなかろうか。
どうも、張郃だ。演義にも名前が出てきていない人物なのではないかな。
多分出てきていないと思いますね。出てきたとしても名前だけとかじゃないでしょうか。
そうだな、亡くなるのも蜀滅亡前の256年と言うことから、物語に出てきたとしても、気が付けばいなくなっていた、ぐらいになりそうだな。
うむ、それでは劉胤について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
蜀志『劉理伝』を見ると父の劉理が244年に亡くなるとその後を継いだとあるんじゃよ。父の劉理は劉禅よりも年下であり、劉禅が後を継いだ時点でもまだ10歳になるかどうかと言う状態だったのではなかろうか。
そう考えると亡くなった244年時点で劉理はまだ30~35歳ぐらいと言ったところか。劉胤もまだかなり年少だったのではないかな。
確かに230年過ぎぐらいに生まれたとしてもまだ244年ではまだ成人前ですものね。
そうじゃな、他に特筆すべき記述がないこともあって、劉胤は全体的に抑えめの評価になるんではなかろうか。しかしそう考えると256年に亡くなったのはまだ20代半ばと言うことになるのじゃな。
上では45歳時の能力が書いていますが、実際はそこに到達する前に亡くなっている、と言うことですね。
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簡単解説
さすがにこの辺りになると他の作品にも出てこないのですね。
まあほとんど一文ぐらいのみ、それも何かを成し遂げた、とかそういう記述はないからな。
皇族ですと名前だけの人物も結構多そうですね。
そうだな、評価するのもなかなか難しいと思うが、お主の師匠がどう見ていっているのか、興味があるな。
まあ難しいと言えば難しいが、逆に評価を高くし過ぎないようにバランスを取るだけじゃからな。とは言え他の見ている方々にとっては退屈かもしれんのう。さて、今日は終わりじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。