三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹霖(そうりん) 字:不明(?~249)

今回紹介するのは曹霖じゃな。彼は曹丕の息子の一人であり、また皇帝になった曹髦の父でもあるんじゃよ。彼はどんな人物であったか、見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹霖の紹介じゃな。曹丕の息子であり、曹髦の父でもある、彼自身は皇帝とは縁がなかったが、華麗なる一族と言ったところじゃろうか。

 

どちらも高い能力を持った非常に優秀な人物ですよね。もしかして曹霖も・・・?

ん、む、さすがにそれは・・・どうかな。 

うむう、実は曹霖に関しては、あまり良い評判は聞かないようじゃな。それでは曹霖の評価を見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹霖(20歳)  70 10 55 30
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 曹霖(45歳)  101 35 84 57

 

さて、それでは彼の時代の記録について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

東海の定王曹霖は、黄初三年(222年)、河東王に立てられ、六年(225年)、館陶県王に改封された。明帝が即位すると、先帝の遺志によって、諸国に比べて特別な恩寵を与えられた。

ところが曹霖は粗暴な性格だったので、後宮の中や、婢妾の間には、殺されたり痛めつけたりするものが多数あった。

太和六年(232年)、東海定王に改封された。嘉平元年(249年)逝去し、子の曹啓が後を継いだ。(『東海定王霖伝』)

粗暴で他人を傷つける性格であったことから、武勇は少し高めに、統率は逆に低くしたのですね。 

恐らくはそう言うことだな。文帝も高貴郷公も武芸をたしなんでいたようであるし、曹霖もその辺りの素養はあった、と考えられるか。 

 

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簡単解説

曹髦が少しせっかちだったのも、もしかしたら父の影響とかだったのかもしれませんね。

元々曹丞相が結構せっかちな性格であったからな。欠点もあるが迅速果断に動けると言うのは非常に大きな利点でもある。

記録が少ないから詳細までは分からんがのう。さて、それでは曹霖の紹介も終わりじゃな。

よし、それでは俺も帰るぞ、次もよろしくな。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。