さて、今回は董昭ラストじゃな。
こうやって考えると董昭の活躍時代は長いのう。曹丕、曹叡時代のエピソードを紹介するぞい。前回、前々回の内容は以下を参照してくれい。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、董昭も随分長くなったのう。
前回の官職の話が少しややこしいですが具体的な例を教えてもらっても良いですか?
うむ、そうじゃのう、ならば一番わかり易い例を挙げようかの。夏侯惇と言う武将じゃが、他の武将が魏の官職を得ていく中、彼は漢の伏波将軍のままだったんじゃよ。
何故夏侯惇は漢の官職のままなんですか?
うむ、曹操にとって夏侯惇は他に代わるべき人物がない、一番信頼のおける同士のような相手だったんじゃ。孫策と周瑜、劉備と関羽張飛の関係に近いじゃろうな。
曹操が魏公となっても漢の臣下であることに変わらんじゃろ。夏侯惇を同じ漢の臣下に留めておくことで、特別扱いとしたんじゃよ。
魏の臣下にしてしまうと漢の臣下のまた臣下、と言う形になっちゃうんですね。
そうじゃ、曹操は不臣の礼として夏侯惇を遇したんじゃが、夏侯惇は自分は不臣の礼に該当するような人物ではないと、魏の前将軍にしてもらったんじゃ。
前将軍って確か結構位階も高かったですよね?それよりも漢の伏波将軍の方が価値がある、と言うことなんですね。
そうじゃな。伏波将軍は多数ある将軍号の一つでしかなく、それほど位階も高くない。それでも漢の官職であることの方が価値がある、と言うことじゃろうな。
新興国ならではの話ですね。でも何となくイメージは掴めました。ありがとうございます。
うむ、それでは董昭の話の続きに行くぞい。
人物紹介
文帝の治世
曹操が亡くなり、曹丕が後を継いだ時に将作大匠に任じられるんじゃよ。これは上尊号碑にも同様の役職として刻まれておるんで、間違いないじゃろうな。
将作大匠は宗廟や宮中、陵園等の土木工事や植樹などを受け持つ、九卿の一つなんじゃよ。続いて曹丕が皇帝になると、大鴻臚に昇進させたんじゃ。これは諸侯や異民族との交渉の際の儀礼を取り仕切る役目じゃな。
どちらの役職の役割とも徳間書店の『三国志全人名事典』に載っている資料を参考にしておるぞい。
曹丕が皇帝になった後、曹休が江南の地を精鋭の兵で暴れまわりたい、と上奏してきたんじゃ。董昭はそれに対し、曹休がやろうとしても富貴を手に入れた他の臣下は思うように動いてくれまい。恐らくその意図は崩れるでしょう。しかし皇帝の命令でも同じように諸将が動かない可能性があるのは厄介です、と進言するんじゃ。
後に孫権軍が暴風によって乱れ、曹休たちはそれに乗じて戦果を挙げたが、その後曹丕が詔勅を下して渡河を命じたが、董昭の懸念通り諸将は思うように動かず、その内に敵の援軍が来てしまうんじゃよ。
また夏侯尚が江陵を攻めた時に、長江の中州に屯営を築き、浮橋で行き来できるようにしようと考えたんじゃ。丁度この時長江は水が浅く川幅も狭かったんじゃな。
しかし董昭は、敵地の中州と言ういつ孤立するか分からない場所、しかもそこの行き来を浮橋と言う不安定な橋一本で行う危険性(もし川が増水し、橋が流されたら脱出もできずに中洲の軍は敵の手に落ちる)を訴えたんじゃ。
すぐに曹丕は退却を命じたんじゃが、丁度孫権軍が二手に分かれて攻めてきたんじゃ。魏軍の退却経路は一本の浮橋だけなので、かなり脱出に手間取ったようじゃな。
そして軍が退却して10日ほど経った時に長江の水は急に増加したんじゃ。
曹丕は董昭の洞察力に感服し「張良・陳平でもことに当たったとしても、これ以上の仕事を成し遂げられるだろうか。」と董昭を称賛したんじゃよ。
そして色々な役職を経て、226年には太僕になるんじゃ。太僕は徳間書店の『三国志全人名事典』によると天子の出御の際の行列を取り仕切る役職じゃな。これも九卿の一つじゃな。
明帝の治世
曹丕が亡くなり曹叡が新たな皇帝になると、衛尉に転任し、232年にはついに司徒になったんじゃ。司徒は以前話した三公と言う最高位の役職じゃな。
三公については以下に豆知識として入れておるぞい。
そしてこの時期、董昭は近年の風俗の弊害について上奏するんじゃ。これは浮華の徒と呼ばれる、身内を褒めあい、狭いコミュニティの中で名声ばかり高めている連中に対し、そう言う人物は人材とは言えず、国家に混乱をもたらすのみ、と言うような内容じゃな。曹叡もこれには同意見で、すぐに何人かの人間が罷免されているんじゃよ。
そして236年に董昭は亡くなるんじゃ。陳寿は董昭等は知略に優れた世の奇士であるが、清潔で徳行をおさめた点では荀攸と異なる、と清廉さでは荀彧や荀攸に及ばない、としておるの。
さて、続けて能力評価と行こうかの。今回は鄭問之三國志以外に出ておるぞ。
能力評価
董昭は知謀、政治満遍なく活躍しておることからどちらも非常に高い評価としておる。曹操を魏公、魏王にしている建議を最初に挙げていることなどから、特に政治の方を評価しておるぞい。
また知謀や政治程ではないが、軍事面も若い頃に賊討伐の実績などもあるので、そちらも高めの評価としておるんじゃ。最終的には全て100以上のオールラウンダーとして評価できるぞい。
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雑談ぢゃ
さて、董昭の能力評価じゃな。
師匠は軍事面もそれなりに高いですが、他は軍事面は低いですね。
そうじゃな。さすがに軍事面の活躍は正史でもわずかな記述があるのみじゃからな。
むしろキャラを立たせる、と言う意味ではワシの方がハンパな評価かもしれんのう。
でも活躍の記述があるなら評価して良いと思います。
うむ、ちなみに3つ以上の能力が100以上で、尚且つ二つは150以上と言うのは、そういないクラスの人材と言えるのう。呉や蜀で言うなら宰相クラスの人材じゃ。
そう考えると凄い人物ですね。人間性はちょっとアレかもしれませんが。
そうは言うが、蒼天航路の董昭とかは結構カッコよかったしのう。彼の言うことももっともだったと思うぞい。
どんな人物像だったんでしょうか。私はまだ蒼天航路は読んでいませんから。
うむ、まあそれは読んでみてのお楽しみじゃな。
さて今回はここまでじゃな。袁紹に続き長丁場じゃったが、全部読んでくれた方は感謝するぞい。
次もまた見てくださいね、それではまた!